出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ウィーンで活躍した作曲家の総称。(1)狭義にはおよそ1730‐80年の前古典派の時代を指すが,盛期古典派(ウィーン古典派とも呼び,下限は1830年ころ)を含める場合もある。(2)1903‐11年の〈新ウィーン楽派〉を指す。…
…音楽的には通奏低音の廃止と最上声を重視して他声部がそれを和声的に伴奏するホモフォニー様式の成立,交響曲,弦楽四重奏曲,ソナタなどその様式を基盤とする近代的な諸形式の誕生,そして社会的には絶対主義体制や教会的秩序の解体と,近代市民社会の成立に伴う音楽生活の変質,またそれと深くかかわりあう個性的表現の重視などを,古典派音楽の特徴と見ることができよう。音楽史における古典派という概念はハイドン,モーツァルト,ベートーベンによって代表されるウィーン古典派とほとんど同義に用いられるが,この古典派は突如出現したわけではなく,すでに18世紀前半から徐々に芽生えつつ,イタリア,フランス,ドイツで,前古典派と総称される一群の作曲家たちによって準備されたのである。特に重要なのはG.B.サンマルティーニを中心とするミラノ,エマヌエル・バッハに代表されるベルリン,J.シュターミツをはじめとするマンハイム,ハイドン以前のウィーンの各楽派である。…
…狭義には1770‐1830年のハイドン,モーツァルト,ベートーベンを中心とする約60年間のウィーン古典派音楽をさす。このうちベートーベンは古典派音楽を完成しつつ次に来るロマン主義への志向を示している。…
…18世紀中葉の新興市民階級の登場とともに,ドイツ音楽もバロックの貴族的・宮廷的・宗教的壮麗と威厳を捨て,簡単な和声伴奏の上に親しみやすい旋律を歌わせるホモフォニーによって,テレマンのロココ音楽,マンハイム楽派の多感様式,あるいはエマヌエル・バッハCarl Philipp Emanuel Bach(1714‐88)のシュトゥルム・ウント・ドラング的音楽を生み出した。この方向はやがてハイドン,モーツァルト,ベートーベンらのウィーン古典派の交響曲や室内楽に結集され,ドイツ的なものを中心にイタリアや東欧の要素を内に含んで,全ヨーロッパに通用するドイツ音楽の頂点を形成した。しかし,われわれはウィーン古典派の純粋器楽のうちに,シュッツやバッハが開拓したドイツ的音楽語法が生きていること,そしてまたこのドイツ音楽とドイツ語の深い内的結びつきが,シューベルトに始まり,ロマン派の時代に展開するドイツ・リートの世界を支えていることを忘れてはならない。…
※「ウィーン古典派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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