オゴデイ・ハン国
オゴデイ・ハンこく
Ogödei Khanate
13世紀の中央アジアに存在したモンゴル人の国家。チンギス・ハン (在位 1206~27) はその生前第3子オゴデイに分地として,中国の新疆ウイグル自治区の北西隅を流れてカザフスタンの東端のアラコリ湖に注ぐエメル川の流域一帯を与えた。オゴデイ (在位 1229~41) ,その子グユク (貴由)の治世 (46~48) のあと,帝位がオゴデイ家からトルイ家のモンケ (蒙哥)の治世 (51~59) に移ると,オゴデイ家の諸王は分地を没収された。オゴデイの孫の一人ハイドゥ (海都)は,1260~64年の内戦でアリク・ブガ (阿里不哥)に加担し,アリク・ブガがフビライに投降したのちは,ハイドゥはチャガタイ・ハン国から領土を切取ってオゴデイ・ハン国を再建し,30年以上も元朝を脅かしたが,1301年に死んだ。その跡を継いだチャバル (察八児)は,04年チャガタイ・ハンのドゥワとともに元朝と和した。しかしまもなくドゥワと不和になり,06年チャバルはドゥワに敗れてオゴデイ・ハン国は滅びた。チャバルは 09年元朝に投降した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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