アリク・ブガ(読み)アリク・ブガ(その他表記)Arigh Bugha

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリク・ブガ」の意味・わかりやすい解説

アリク・ブガ(阿里不哥)
アリク・ブガ
Arigh Bugha

[生]?
[没]1266
モンゴルのチンギス・ハンの孫トルイの第7子。モンケ (蒙哥)フビライ・ハンの同母弟。母はケレイトのソルカクタニ。 1257年兄モンケは宋への遠征に出発するとき,アリク・ブガを国都カラコルムに残し国政にあたらせ,アラムダル (阿藍答児)をつけておいた。 59年モンケが四川で死ぬと,60年アリク・ブガはアルタイ山に大ハンを選ぶクリルタイを召集したが,兄フビライは参加せず,東部諸王を召集し,ドロンノール (多倫諾爾) で即位した。アリク・ブガもモンケの諸子および西部諸王の支持のもとにカラコルムで即位したが,両派の争いは,62年末のシムルトゥ・ノールの戦いで大勢を決した。その後アリク・ブガは,アルマリグ地方に退いたが,チャガタイ・ハン家のアルグと争い,食糧を絶たれ 64年フビライにくだった。

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