日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガッファル・ハーン」の意味・わかりやすい解説
ガッファル・ハーン
がっふぁるはーん
Abd-ul-Ghaffār Khān
(1890―1988)
パキスタンの政治家。北西辺境州ペシャワル県でパシュトゥン人(アフガン人)の部族長の家に生まれ、第一次世界大戦後からインド民族運動に参加。1928年月刊誌『パクトゥーン』を発刊、1929年神の奉仕者党(赤シャツ党)を結成、国民会議派と連携してインド独立運動と自民族の統一を指導した。1947年パキスタンの独立に反対、その後は「パシュトゥーニスターン」運動でパシュトゥン人の自決権を目ざした。1948年人民党を創立、1957年全国人民党結成に参画したが、1960年代以降はたびたびアフガニスタンに逃避し、1988年に客死した。その志は二男ワリー・ハーン(1917―2006)が受け継いだが、運動は衰退し、州名改称(「パシュトーンハー」)の要求にとどまっている。
[浜口恒夫]