クライアー(読み)Cleyer,Andreas(英語表記)Andreas Cleyer

朝日日本歴史人物事典 「クライアー」の解説

クライアー

没年:1698頃(1698頃)
生年:1634
江戸前期の長崎出島オランダ商館長。ドイツのカッセル生まれ。28歳までにバタビアに渡る。1667年オランダ東インド会社のバタビア城薬局長となり,中国医学を研究,『中国医学小論』(1682)を著す。2度の出島オランダ商館長在任期間中(1682.10.20~1683.11.8,1685.10.17~1686.11.5),ドイツ人庭師ゲオルグ・マイスター(1653~1713)と共に,通詞の協力を得て,西欧人として初めて本格的に日本産植物を研究。加賀(金沢)藩主前田綱紀の求めに応じて,天和2(1682)年にドドネウス『草木誌』(1644)の銅版手彩色版を贈る一方,バタビアに持ち帰った日本の動植物図譜をアムステルダム市長ニコラス・ウィトセン,ダンチヒ(ポーランド)の植物学者ヤコブ・ブライン,ドイツのブランデルブルク選挙侯に送るなど,東西の博物知識の交流に貢献した。クライアーと共に研究に当たったマイスターには日本の園芸植物,日本庭園を西欧に初めて紹介した『東インドの庭師』(1731)がある。

(松田清)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クライアー」の意味・わかりやすい解説

クライアー
くらいあー
Andreas Cleyer
(1634―1697/1698)

植物愛好家。プロシアのカッセルに生まれる。オランダ東インド会社に入社。バタビア(現、ジャカルタ)に居住。1682年(天和2)に長崎のオランダ商館長として来日。長崎ではオランダ風にアンデレイス・ケレイルとよばれていた。1686年にバタビアに帰り、その地で没した。植物を愛し、在日中に1360種余りの植物を採集し、図説して友人のメンツェルChristian Mentzel(1622―1701)に送り、そのうちの53種がドイツの学術雑誌に掲載された。そのほか漢籍なども集め、のち植物図説とともにベルリンの王立図書館に寄贈し、ドイツにおける日本研究の基礎をつくるのに貢献した。しかし、日本の博物学の発達に直接寄与するところは少なかった。

真船和夫

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「クライアー」の解説

クライアー Cleyer, Andries

クライエル

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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