朝日日本歴史人物事典 「クライアー」の解説
クライアー
生年:1634
江戸前期の長崎出島オランダ商館長。ドイツのカッセル生まれ。28歳までにバタビアに渡る。1667年オランダ東インド会社のバタビア城薬局長となり,中国医学を研究,『中国医学小論』(1682)を著す。2度の出島オランダ商館長在任期間中(1682.10.20~1683.11.8,1685.10.17~1686.11.5),ドイツ人庭師ゲオルグ・マイスター(1653~1713)と共に,通詞の協力を得て,西欧人として初めて本格的に日本産植物を研究。加賀(金沢)藩主前田綱紀の求めに応じて,天和2(1682)年にドドネウス『草木誌』(1644)の銅版手彩色版を贈る一方,バタビアに持ち帰った日本の動植物図譜をアムステルダム市長ニコラス・ウィトセン,ダンチヒ(ポーランド)の植物学者ヤコブ・ブライン,ドイツのブランデルブルク選挙侯に送るなど,東西の博物知識の交流に貢献した。クライアーと共に研究に当たったマイスターには日本の園芸植物,日本庭園を西欧に初めて紹介した『東インドの庭師』(1731)がある。
(松田清)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報