長崎(読み)ナガサキ

デジタル大辞泉の解説

九州地方北西部の。もとの肥前の西半部と壱岐(いき)対馬(つしま)2国にあたる。人口142.7万(2010)。
長崎県南部の市。県庁所在地。元亀2年(1571)ポルトガル船寄港以来発展し、鎖国時代は唯一の外国貿易港として繁栄。昭和20年(1945)8月9日、原子爆弾投下され被災。造船・水産業が盛ん。浦上天主堂グラバー邸などがある。平成17年(2005)周辺6町を、平成18年(2006)に琴海町を編入。人口44.3万(2010)。

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大辞林 第三版の解説

九州地方北西部の県。かつての肥前国西半部、および壱岐・対馬二国の全域を占める。東シナ海に面し、北松浦・島原・長崎・西彼杵にしそのぎ半島と五島列島・平戸島・壱岐・対馬などの島からなる。県庁所在地、長崎市。
長崎県南部、長崎半島の付け根にある市。県庁所在地。1571年ポルトガル船が寄港して以来貿易港として発展し、江戸時代は国内唯一の開港場として繁栄。1945年(昭和20)8月9日原子爆弾の投下によって廃墟となったが、現在は造船業・水産業・機械工業・観光業が発展。
姓氏の一。北条得宗家の被官。高資のとき、内管領ないかんれいとして実権を握る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山形県中央部、東村山郡中山町の中心地区。旧長崎町。最上(もがみ)川中流の右岸に位置し、中世には中山氏の長崎城が築かれ、近世初頭からは最上川の舟着き場として発展し、1921年(大正10)の国鉄(現、JR)左沢(あてらざわ)線の開通まで続いた。中山町役場、歴史民俗資料館や、JR羽前(うぜん)長崎駅がある。国道112号が通じ、最上川に長崎大橋が架かる。[編集部]

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精選版 日本国語大辞典の解説

[一] (鎌倉時代、長崎氏が地頭となってから呼ばれた) 長崎県南部の地名。県庁所在地。長崎半島の基部にあり、深く湾入した良港をもつが、平地は狭い。元亀二年(一五七一)ポルトガル船の入港以来貿易港・キリシタン伝道地となる。豊臣秀吉の統一以来直轄地となり、江戸時代は唯一の開港場として繁栄。古くから漁業基地としても知られ、水産加工場も多く、日本屈指の水産都市。また造船所もある。大浦天主堂・グラバー邸・唐人屋敷・出島オランダ商館跡・唐寺崇福寺などがある。昭和二〇年(一九四五)八月九日、原子爆弾が投下され、市街地の北半部が破壊された。明治二二年(一八八九)市制。永埼。崎陽(きよう)
姓氏の一つ。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

長崎県南部にある港湾都市県庁所在地
16世紀中ごろより大村氏領となり,1570年ポルトガル船が寄港して以来貿易港として発展。大村純忠イエズス会に寄進し一時教会領となったが,'87年豊臣秀吉が没収して直轄領とし,江戸時代には幕府天領として長崎奉行の支配下に置かれた。初め朱印船貿易の基地であったが,鎖国政策の進行に伴い,この地に出島が建設され,オランダ商館が移されて,鎖国下における唯一の貿易港となった。ヨーロッパ文化に接する窓口の役割を果たしたので蘭学を志ざす者の来遊の地となり,幕末の安政の五カ国条約によって開港された。1889年市制施行。太平洋戦争末期の1945年8月,原子爆弾により市街の大半が壊滅したが,その後復興。

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