世界大百科事典(旧版)内のコール,Helmutの言及
【キリスト教民主・社会同盟】より
…50年代を通じ,さらに60年代の初めまで,CDU/CSUを指導したのは首相兼CDU党首のアデナウアーであり,この時代に西ドイツの西欧統合,再軍備,NATO並びにEEC(後にEC,EU)加盟が実現する。69年,社会民主党・自由民主党の連立によって,初めて野に下ったCDU/CSUは,82年10月,コールHelmut Kohl(1930‐ )(CDU党首)政権の成立によって,再び与党となった。戦前のバイエルン国民党の影響を受け,さまざまな保守の潮流を統合したCSUは,党首シュトラウスFranz Josef Strauss(1915‐88)(1961年から。…
【ドイツ連邦共和国】より
…いずれもCDU),1969‐74年のブラント,1974‐82年のシュミットHelmut Schmidt(1918‐ 。いずれもSPD),1982年以降のコール(CDU)の6人であり,そのうちアデナウアーは14年間も首相として,初期の旧西ドイツ政界に絶大な影響を及ぼしたが,コールは14年間の記録を破った。第1の連合パターンはドイツ統一後も踏襲された。…
※「コール,Helmut」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」