改訂新版 世界大百科事典 の解説
サイイド・アフマド・バレールビー
Sayyid Aḥmad Barēlwī
生没年:1786-1831
北インド,ウッタル・プラデーシュ,ガンガー(ガンジス)川中流域のラーイ・バレーリーの貧農出身で,ムジャーヒディーン運動を指導した。彼はシャー・ワリー・ウッラーの子,シャー・アブドゥル・アジーズShāh `Abd al-`Azīz(1746-1824)のもとで学んだ。アブドゥル・アジーズが,異教徒イギリス人のインド支配に対する抵抗をムスリムの義務として訴えたとき,彼は,それをムスリム一般大衆に説いて回った。メッカ巡礼からの帰国後,北インドを回って,イギリス人に対するジハード(聖戦)の準備を整え,ムジャーヒディーン(聖戦に参加する者)たちの戦闘集団を組織したが,武装蜂起そのものは失敗に終わり,戦死した。
執筆者:小名 康之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報