改訂新版 世界大百科事典 「スモレンスク公国」の意味・わかりやすい解説
スモレンスク公国 (スモレンスクこうこく)
中世ロシアの公国の一つ。バルト系原住民を征服,混交して,西ドビナ,ドニエプル,ボルガの各河川上流域に広まった東スラブ人のクリビチ族(とくにスモレンスク・クリビチ)の故地を母体とする。キエフ国家初期の9世紀末には,すでに中心市スモレンスクがあったが,公国になったのは,ウラジーミル・モノマフの孫で初代の公ロスチスラフ(在位1127-59)の時からである。その後,キエフ国家の封建的分裂が進むなかで,13世紀後半にはスモレンスク公国からモジャイスク,ビャーゼムスキーの両分領地が分離した。14世紀後半には,西のリトアニア大公国のビトフト(ビタウタス,1350-1430)の攻撃を受けて敗北し,15世紀初めの反乱の失敗でその従属下に入った。ロシア西部の商業交易,交通,軍事の要地のため,12~13世紀には早くも都市文化が発達。タタールの侵攻を免れて今日なお残る教会建築のほか,都市騒乱や教会の異端運動を記述した修道士アブラミーの《一代記》など,優れた文学作品も出現した。1514年にはモスクワ大公国に併合され,1618年にはポーランドに占領されたが,67年,アンドルソボの和約で再びロシアに返還された。
執筆者:田中 陽児
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報