改訂新版 世界大百科事典 「ウラジーミルモノマフ」の意味・わかりやすい解説
ウラジーミル・モノマフ
Vladimir Monomakh
生没年:1053-1125
ロシアのキエフ大公。在位1113-25年。フセボロド・ヤロスラビチとビザンティン皇帝コンスタンティノス9世モノマコスの娘イレネとの間に生まれたためモノマフと呼ばれた。ポロベツ人との戦いで有名になり,キエフ・ロシアの分裂化が進行する中で,たびたび開催された諸公会議で中心的役割を演じた。1113年キエフに民衆暴動が発生したため,民会(ベーチェ)に請われて大公となり,暴動を鎮圧,〈利子に関する法令〉と〈ザークプに関する法令〉を発布し,高利貸の利子の制限とザークプ(債務奴隷的農民)の地位の改善を図った。《子らへの庭訓》を著し,当時の文化人としての側面をのぞかせているが,オレーグ・スビャトスラビチへの手紙,《原初年代記》第2編集本の編纂の指示(1116)にみられるように,その内容は大公権力の強化によるキエフ・ロシア統一を志向するものであった。実際彼の時代にキエフ大公の権力強化がみられたが,一時的なものであり,各公国の自立化傾向を阻止することはできなかった。
執筆者:細川 滋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報