改訂新版 世界大百科事典 「セイディヌルシー」の意味・わかりやすい解説 セイディ・ヌルシーSeyyid-i Nursī生没年:1867-1960 オスマン帝国末期,トルコ共和国期の宗教活動家。サイディ・ヌルシーSaid-i Nursī,サイディ・キュルディーSaid-i Kürdīともよばれる。《光明(ヌール)の書》などを著し,コーランやシャリーアに基づくイスラム国家樹立を目ざした(ヌルジュ運動とよばれる)。1909年青年トルコ革命に反対する3月31日事件に連座したが,死刑をまぬがれ,東部アナトリアに隠棲した。ケマル・アタチュルクの世俗主義に批判的であった。1950-60年にかけて,民主党のメンデレス(1960年クーデタにより処刑)らと結びつき,アタチュルクの精神を受け継いだ共和人民党と対立した。執筆者:設楽 国広 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by