ゼーロータイ(読み)ぜーろーたい(その他表記)Zēlōtai ギリシア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゼーロータイ」の意味・わかりやすい解説

ゼーロータイ
ぜーろーたい
Zēlōtai ギリシア語
Zealot 英語

イエス・キリスト時代のユダヤ人の結社熱心党、ゼロテ党と訳される。深い宗教的確信のもとに、イスラエルの神ヤーウェの神聖政治を妨げる者に対しては、同胞であれ、死を賭(と)しても戦うという狂信的情熱をもっていた。ローマに対する暴動を指揮したガラリアのユダが、紀元6年ごろ創設した。イエスの弟子に熱心党のシモンがいたが、イエスを裏切ったイスカリオテ(カリオテ出身)のユダも、もしイスカリオテの名がテラン語の「シカリー」sicarii(刺客)によるとの説が正しければ、熱心党の1人である。70年エルサレム陥落後、ユダヤの残兵はマサダ要塞(ようさい)にこもり、なお3年間ローマへの抵抗を続け、全員が自刃して果てたが、彼らは熱心党のなかでももっとも過激なシカリー派に属していた。

[秋輝雄]

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世界大百科事典(旧版)内のゼーロータイの言及

【熱心党】より

…後6年にユダヤ地方がローマの直轄属州化されたのを機に,ガリラヤのユダの指導下に反ローマ武装闘争に決起した急進派グループ。ギリシア語ではゼーロータイZēlōtaiで,ゼロテ党ともいう。神だけがイスラエルの主であるとの立場から,ローマへの納税を拒否し,ローマ皇帝の像を刻んだ貨幣も偶像として拒絶した。…

【ビザンティン帝国】より

… ニカエアのテオドロス1世(在位1204‐22)とその後継者たちがしだいに支配を固めたのち,ミハエル8世(在位1259‐82)が,ベネチアの対抗勢力ジェノバの援助をうけてコンスタンティノープルをラテン皇帝から奪回した(1261)。だが再建ビザンティン帝国に挑戦を試みるバルカンの両南スラブ人国家,コンスタンティノープルで権益を独占するベネチア人,ジェノバ人に加えて,国内的にはパラマス主義(ヘシュカスモス)をめぐる争いで当時の宗教・思想界は二分し,テッサロニキのゼーロータイ支配(1342‐50)をはじめ,トラキア諸都市では社会的対立が激化した。その間オスマン・トルコは,ヨハネス5世パライオロゴス(在位1341‐91)と争う同6世カンタクゼノスに招かれてアナトリアからトラキアへと渡り(1354),続いて宮廷をブルサからアドリアノープルに移して(1361ころ)バルカンで急速に領土をひろげる一方,コンスタンティノープルを圧迫した。…

※「ゼーロータイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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