知恵蔵 「つんく♂」の解説
つんく♂
少年時代に音楽に興味を持ち、中学2年でギター、高校1年からバンドを始めた。その後いくつかのバンドを経て、1988年、近畿大学在学中にシャ乱Qを結成。92年にシングル「18ヶ月」でデビューし、ミリオンセラーの「シングルベッド」(94年)や「ズルイ女」(95年)、ヒット曲「いいわけ」(96年)などを次々にリリースし、一躍人気バンドとなる。このころの芸名は「つんく」。97年、映画「シャ乱Qの演歌の花道」で初主演し、98年の日本アカデミー賞新人賞を受賞した。
98年、モーニング娘。のデビューシングル「モーニングコーヒー」で本格的に音楽プロデューサーとしてデビュー。99年、作詞、作曲を担当した同グループのシングル「LOVEマシーン」が大ヒットし、日本レコード大賞の優秀作品賞と作曲賞を受賞した。同シングルの売り上げは175万枚を記録している。2000~02年には、3年連続でオリコン年間ランキングの作詞家部門、作曲家部門で1位となった。
1999年、シングル「TOUCH ME」でソロデビューし、2000年にシャ乱Qの無期限活動休止を発表。01年に「つんく♂」と改名し、02年にバンド「THE つんくビ♂ト」を結成。なお、作詞、作曲は「つんく」名で行っている。以降、自身の音楽活動のほか、アーティストのプロデュースや楽曲提供、映画制作、役者など幅広い分野で活躍する。05年には、出身地である東大阪市のイメージソング、新設された大阪府立かわち野高校の校歌の制作も手掛けた。NHK教育テレビの番組「いないいないばぁっ!」への楽曲提供も行い、公式サイトによると15年現在、ジャスラック登録楽曲数は1750曲を超えている。
06年にシャ乱Qとしての活動を再開。また、TNXを設立して音楽制作にとどまらず、健康用品や化粧品の開発、飲食事業などにも乗り出し、11年には東京・秋葉原にアイドル育成を目的としたエンターテインメントカフェ「AKIHABARAバックステ←→ジpass」をオープンさせた。また、14年から母校の近畿大の入学式や卒業式のプロデュースを始めた。
15年4月、近畿大の入学式で14年10月に声帯を摘出していたことを公表し、話題となった。11月にテレビ番組「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ系列)に手術後初めて生出演した際は、ノートパソコンに文字を打ち込んで宮根誠司アナウンサーの質問に答えている。また同月、作曲とプロデュースをした歌手、クミコの子守歌「うまれてきてくれて ありがとう」で日本レコード大賞の作曲賞を受賞。16年3月、東京で開催される東日本大震災のチャリティーコンサート「全音楽界による音楽会」で同曲のオーケストラ指揮を担当する。
『LOVE論』(新潮社)、『「だから、生きる。」』(同)、『女ノ色 男ノ術』(講談社)など著書多数。私生活では06年に結婚し、3児の父親。
(南 文枝 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報