日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋山清」の意味・わかりやすい解説
秋山清
あきやまきよし
(1905―1988)
詩人、評論家。当時、必要から用いた別名局(つぼね)清。福岡県門司(もじ)市(現、北九州市門司区)に生まれる。日本大学社会学科中退。1924年(大正13)アナキズム系の詩雑誌『詩戦行』を創刊、後半にその編集を担当した。以後『単騎』(1928)、『矛盾』(1928。ただし3号より参加)、『黒戦』(1929)、『黒色戦線』(1929)などへの参加を経て、1930年(昭和5)には、小野十三郎(とおざぶろう)とともに『弾道』を創刊、アナキズム文学の純粋度を高めた。1932年には毎号4ページの小文化評論誌『解放文化』を創刊、そのかたわら東京・新宿紀伊國屋書店での解放文化展(世界アナキズム運動展)を責任企画、実施するなどして、アナキズム文化運動の全国組織気運を醸成し、翌1933年解放文化連盟を結成、参加した。その後、この時期のアナキズム文学運動の最後を飾る『詩行動』(1935)の創刊に参加、大正以来、政治とのかかわりにおける不服従の精神のアナキストとして、一貫した姿勢を示した。1935年11月、全国的なアナキスト弾圧で逮捕・検挙され、3か月後に釈放された。
第二次世界大戦体制下は沈黙を余儀なくされたが、戦後1946年(昭和21)、金子光晴、岡本潤、小野十三郎らとともに編集責任者として詩雑誌『コスモス』を創刊、人民的詩精神がもっとも高い芸術の母体であることを主張した。同年5月近藤憲二らと日本アナキスト連盟を結成。また、新日本文学会常任委員を務めるかたわら『新日本文学』『現代詩』に詩や評論を発表、新聞『自由連合』(1960)の編集もし、旺盛(おうせい)な著作活動を続けた。なかでも『文学の自己批判』(1956)、『日本の反逆思想』(1960)、『アナキストの文学』(1970)、『あるアナキズムの系譜』(1973)、『アナキズム文学史』(1975)などのアナキズム文学の動向を詳述した著書は、そのただ中にあった当事者の検証も含んだ重みをもつものとなっている。おもな著書はほかに、『竹久夢二』(1968)、『ニヒルとテロル』(1968)、『近代の漂白』(1970)、『反逆の信条』(1973)、『大杉栄評伝』(1976)のほか、『象のはなし』(1959)、『白い花』(1966)、『ある孤独』(1967)、『豚と鶏』(1968)の4詩集とそれらを収録増補した『秋山清詩集』(1973)がある。
[小野寺凡]
『『文学の自己批判』(1956・新興出版社)』▽『『詩集 象のはなし』(1959・コスモス社)』▽『『日本の反逆思想――アナキズムとテロルの系譜』(1960・現代思潮社)』▽『『白い花』(1966・コスモス社)』▽『『ニヒルとテロル』(1968・川島書店)』▽『『近代の漂白』(1970・現代思潮社)』▽『『あるアナキズムの系譜』(1973・冬樹社)』▽『『反逆の信条』(1973・北冬書房)』▽『『秋山清詩集』増補版(1973・現代思潮社)』▽『『アナキズム文学史』(1975・筑摩書房)』▽『『大杉栄評伝』(1976・思想の科学社)』▽『『孤立――あるいは「私」へのたびだち』(1977・本郷出版社)』▽『『わが暴力考』(1977・三一書房)』▽『『恋愛詩集』(1977・冬樹社)』▽『『目の記憶――ささやかな自叙伝』(1979・筑摩書房)』▽『『やさしき人々――大正テロリストの生と死』(1980・大和書房)』▽『『あとがき詩人論』(1982・青磁社)』▽『『昼夜なく――アナキスト詩人の青春』(1986・筑摩書房)』▽『『現代詩文庫1046 秋山清詩集』(2001・思潮社)』▽『『竹久夢二』精選復刻(紀伊國屋新書)』▽『西杉夫著『抵抗と表現――社会派の詩人たち』(1992・海燕書房)』▽『伊藤信吉編『激動期の詩と詩人』(1993・川島書店発売)』▽『岡田孝一著『詩人秋山清の孤独』(1996・土曜美術社出版販売)』