ディッタースドルフ,K.D.von(読み)でぃったーすどるふ

世界大百科事典(旧版)内のディッタースドルフ,K.D.vonの言及

【ハンガリー】より

…1699年のカルロビツ条約によってオーストリア・ハプスブルク家の支配を受けるようになって以来,ハンガリーの音楽文化の中心はドイツ音楽になった。ヨーゼフとミヒャエルのハイドン兄弟,ディッタースドルフK.D.von Dittersdorfら,オーストリア・ドイツ系の音楽家が指導的役割を果たしていた。 1848年の独立戦争を頂点とする民族主義の運動を背景に,ハンガリーに独特のロマン的国民主義の傾向が生まれ,それはまずエルケルErkel Ferenc(1810‐93)の,例えば《バーンク・バーンBánk bán》(1861)のような国民主義オペラの創造を促した。…

※「ディッタースドルフ,K.D.von」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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