ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デーンロー」の意味・わかりやすい解説
デーンロー
Danelaw
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翻訳|Danelaw
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…アルフレッドはイングランド軍を糾合して戦い,はじめはしばしば敗れて窮地に陥ったが,878年エディントンの戦で勝利をあげ,ウェドモアの和約でバイキングとの境界を画定,その王グスルムをキリスト教に改宗させた。以後バイキングの占拠地は〈デーンローDanelaw地方(デーン人の法・慣習の行われる地)〉と呼ばれた。アルフレッドは軍事上・政治上の手腕にすぐれ,各地方の要地に城市を築き,海軍を増強,軍隊を交代制にするなど防衛を強化した。…
…アルフレッド大王は878年エディントンの戦でこれに大打撃を与えたので,その攻撃の矛先は鈍った。しかし,ほぼ今日のロンドンとチェスターを結ぶ線以東は,デーン人が濃密に定着して,デーンロー地方(デーン人の法,慣習の行われる地)として,長く独自の性格を保った。この間,彼らはスコットランド,ウェールズ,アイルランドにも侵入・定着して,大きな勢力となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」