ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トロッパウ会議」の意味・わかりやすい解説
トロッパウ会議
トロッパウかいぎ
Congress of Troppau
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…したがって統一的な国民国家をつくり出そうとする運動もまた鎮圧されることとなった。20年のトロッパウ会議,21年のライバハ会議では〈革命に際しては旧秩序を再建する〉ことが決議され,実際にイタリアではオーストリア軍のナポリ侵入が支持され,ギリシアの民族解放運動(ギリシア解放戦争)に対しては,支配者であるオスマン帝国に間接的支持が与えられた。さらに22年のベロナ会議では,スペイン革命の鎮圧がフランス軍に委嘱されたのである。…
…ウィーン会議後の1815年9月26日,ロシア皇帝アレクサンドル1世,オーストリア皇帝フランツ1世,プロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世がパリにおいて結んだ盟約。それはキリスト教を王制的政治秩序の基礎におき,統一的国民国家を志向するブルジョア的変革に権力的に対応するために,全ヨーロッパの王制に加盟を呼びかけたものであった。しかしそれを主導したアレクサンドル1世はセンチメンタルな宗教的夢想家で,フランツ1世もまた同時代人によって愚鈍の人とされており,彼らの盟約自体は拘束力も実効力もなく,条約としての体をなしてはいなかった。…
※「トロッパウ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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