現代外国人名録2016 「ニッキーワイアー」の解説
ニッキー ワイアー
Nicky Wire
- 職業・肩書
- ロック・ベース奏者
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1969年1月20日
- 出生地
- ウェールズ
- グループ名
- グループ名=マニック・ストリート・プリーチャーズ〈Manic Street Preachers〉
- 学歴
- ウェールズ大学
- 経歴
- 1986年ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(リードギター,ボーカル)、ショーン・ムーア(ドラムス)ら幼なじみの4人でパンクロックバンド、マニック・ストリート・プリーチャーズを結成し、ベースを担当。’89年デビュー。’92年のファーストアルバム「ジェネレーション・テロリスト」は英国に根深く残る階級社会への怒りをぶつけた作風で、労働者階級の代弁者として脚光を浴びた。同年初来日。’95年アルバム「ホーリー・バイブル」を発表するが、直後にカリスマ的な人気を誇ったギタリストのリッチー・ジェームス・エドワーズが失踪して行方不明となり、活動休止を余儀なくされた。’96年3人編成で再起をはかり、アルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」をリリース、同作からのシングル「ア・デザイン・フォー・ライフ」がヒットした。さらに’98年発表のアルバム「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」が世界中で約300万枚のセールスを記録し、’90年代の英国を代表するバンドとして認められるに至った。2000年シングル「ザ・マッシズ・アゲインスト・ザ・クラッシズ」が全英1位にランクイン。2001年には西側のミュージシャンとしては初めてキューバでコンサートを行い、同国家元首であるカストロ議長とも会談した。2004年アルバム「ライフブラッド」発表ののちバンドとしての活動を休止。以後、ソロ活動を進め、2006年には初のソロアルバム「アイ・キルド・ザ・ザイトガイスト」をリリースした。2007年バンド活動を再開し、アルバム「センド・アウェイ・ザ・タイガーズ」を製作。同年サマーソニックに出演するため、7度目の来日を果たす。他のアルバムに「ノウ・ユア・エネミー」、「ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ」(2009年)、「ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン」(2010年)、「リワインド・ザ・フィルム」(2013年)、「フューチャロロジー」(2014年)などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報