日本大百科全書(ニッポニカ) 「バザルガン」の意味・わかりやすい解説
バザルガン
ばざるがん
Mehdi Bazargan
(1905―1995)
イランの政治家、技師、学者。民族主義者モサデクの信奉者。イラン北西部のタブリーズで富裕な商人の家に生まれ、1927年から1934年までパリに留学。1941年にテヘラン大学で工学を教授し、国民戦線の指導者としてモサデク政権時代(1951~1953)には国有化されたイラン国営石油会社National Iranian Oil Co.(略称NIOC)総裁となった。1955年逮捕後1960年まで拘束され、1961年に宗教指導者タレガニSayyid Mamūd āliqānī(1910―1979)とともに「イラン自由化運動」を結成した。1963年にパーレビ(パフラビー)国王の白色革命に反対し10年の刑に処された。1979年のイラン革命後、暫定内閣を組閣したが、イスラム共和党から自由主義的傾向を非難され、強硬派学生によるアメリカ大使館占拠事件の影響もあり9か月で辞任した。1980年には議員に選出され、バザルガンのイラン自由化運動は唯一の反対政党として1983年春まで活動を許可された。1985年第2回大統領選挙では有資格者名簿から排除された。
[加納弘勝]