日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーレビ」の意味・わかりやすい解説
パーレビ
ぱーれび
Mohammad Reā Pahlavi
(1919―1980)
イラン・パーレビ朝(パフラビー朝)第2代の王(1941~1979)。スイスに留学し、テヘラン軍事アカデミーで学んだ。第二次世界大戦下、英ソ両国の圧力で退位した王朝創設者の父レザー・シャーにかわり、1941年21歳で即位。1951~1953年、モサデク政権による石油国有化運動で国王権力は揺らぎ、1953年8月ローマに国外退避した。しかし、3日後の軍部とアメリカのCIA(中央情報局)による反モサデク・クーデターの成功で帰国し、以降アメリカがイギリスにかわってイランを牛耳(ぎゅうじ)ることになった。1957年、後年大いに恐れられた秘密警察SAVAK(サバク)を創設した。その国王権力は、1963年以降の農地改革、教育部隊の設置、工場労働者への利益還元、女性参政権の付与などを含む「白色革命」によって確立された。1971年10月にはペルセポリスで古代アケメネス朝ペルシアの朝貢を模倣したイラン建国2500年祭を主催した。しかし、石油の有限性や富の偏在性などの問題に対処できず、国民の蜂起(ほうき)(イラン革命)の前に1979年1月に再度イラン出国を余儀なくされ、カイロ、モロッコを経てアメリカに移った。1980年3月にエジプトの大統領サダトの招きでカイロに戻り、4か月後に死去。
[加納弘勝]