精選版 日本国語大辞典 「商人」の意味・読み・例文・類語
しょう‐にん シャウ‥【商人】
あきんど【商人】
あき‐うど【商人】
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商法上、商人には、固有の商人と擬制商人とがある。
(1)固有の商人は、自己の名をもって商行為をなすことを業とする者である(商法4条1項)。自己の名をもってするとは、私法上の権利義務の主体になることであって、行政官庁に対する届出の名義がだれであるとか、営業上の損益の帰属者がだれであるかなどは関係がない。また、業とするとは、営利の目的をもって同種の行為を反復継続することであるが、営業を営む意思は客観的に認められることを要し、教師、医師、弁護士、芸術家などの行為は、一般取引の通念上、営利の目的が主要なものとは認められないから、これらの者は商人ではない。ここでいう「商行為」は、商人概念の基礎となる基本的商行為を意味し、絶対的商行為(同法501条)と営業的商行為(同法502条)をさす。わが商法は、本来商行為概念から商人概念を導き出す商行為法主義をたてまえとしてきた。
(2)擬制商人とは、商行為を業としないが、店舗その他これに類似する設備によって物品の販売を業とする者、鉱業を営む者をいう(商法4条2項)。従来、商行為概念を基礎として商人概念を形成してきたわが商法の立場からは、農業、林業、漁業、鉱業のような原始産業を営む者を商人として取り扱わなかったが、1938年(昭和13)の商法改正で擬制商人を認め、企業的設備や企業形態に着目して商人概念を拡大した。従来、自分の果樹園で生産した果物を販売する行為は商行為でないために、そういう果物屋は商人ではなく、商法の適用を受けなかったが、擬制商人を認めることにより、店舗その他の企業的設備をもって販売すれば商法の適用を受けることになった。また、鉱業は通常、大規模な企業的設備をもって経営されるから、企業法としての商法の対象となることは当然である。なお、2005年(平成17)に制定された会社法は、会社がその事業としてする行為およびその事業のためにする行為は商行為とすると規定している(会社法5条)。会社は、その本店の所在地において設立登記することによって成立し(同法49条)、解散後、清算の結了を待って消滅する(同法929条)。自然人である商人の資格は、商法が定めている一定種類の営業(固有の商人の場合)、または一定形式における営業(擬制商人の場合)の開始によって取得し、その終了によって喪失するが、事実上開業の意思が客観的に認められるとき、すなわち開業準備行為の段階で商人資格を取得するものと解されている。
[戸田修三]
古代において、商人の活動する場は行商と市(いち)に求められた。ただし、彼らは専門の商人というのではなく、生産者がつくったものを自ら売りに出すという色彩が濃かった。専門の商人の出現が確認されるのは奈良時代前後である。平城京(へいじょうきょう)には官営の市が設けられ、市籍をもつ商人が売り買いを行った。下って平安時代には、都に東西市が設けられ、市籍をもたぬ商人も交えて売り買いが行われた。一方、このころには行商人のなかにも商い専門のものが現れ、とくに各地の特産物を売り歩くことがなされるようになった。平安末期になると、京都を中心に常設店舗をもつ商人が出現する。彼らは権門寺社と結び付くことにより、力をつけていった。
中世には、古代末期から力をつけてきた商人が、職種ごとに営業独占権を得るようになってゆく。問丸(といまる)とよばれるものがそれで、鎌倉末期ごろから台頭してくるのである。問丸は、京都・奈良のほか、全国主要都市で活動し、物資の中継・売買を独占した。独占のための組織として「座」を結成し、商い活動だけでなく、それにかかわる輸送手段まで規制するようになった。この傾向は地方の商人も同様で、村の市でも営業独占権を主張するようになってゆく。一方、借上(かしあげ)・土倉(どそう)などの金融業者、酒屋が力をつけてくるのも中世の特色である。彼らは幕府・大名と結び付き、財を供給するかわりに、さまざまな特権を得て、力をつけていった。
近世は、商人が専門・分化した時代である。すなわち、問屋・仲買・小売という、いまにつながる形態の発生をみるのである。彼らはそれぞれに仲間を結成した。「株仲間」とよばれるものである。株仲間は、加入できるものの人数を制限し、売買を独占した。これは、初期には物資供給の安定という効果があったが、やがて商品経済が進化してくると、円滑な売買を阻む要因となった。これを突き破ろうとして、仲間外商人が台頭してくるが、仲間商人との間に紛争が絶えなかった。これに呼応するように、農村では在郷商人が出現し、独占的な流通体制が崩れていったのである。なお、近世はいわゆる豪商が出現した時期でもあった。これらの商人は、蔵元、両替商、米商、呉服商、木綿問屋、油問屋、海運業などを営み、初めは専門職種に携わっていたが、規模が拡大するにつれ、兼業とするものが多くなった。鴻池(こうのいけ)、三井、住友、白木屋、大丸などが代表例である。
近代以降の展開は複雑であるが、開港後とくに目だつことは、輸入品取扱い商人が出現したこと、および近世の豪商が財閥となったことである。前者では、たとえば和紙問屋が洋紙問屋となったり、菜種油問屋が石油問屋になったりした例があげられる。後者では、三井・住友などが多角化をした代表例であるが、彼らはやがて財界を形成し、政治に対しても影響力をもつようになった。
[胡桃沢勘司]
品物を販売する際とられる形態としては、行商、市、常設店舗の3種がある。商人の理想としては店舗を構えることこそ第一である。しかし、そのためには一定地域内で安定した顧客を確保できることが条件であり、とくに前近代社会においてはそれを満たせる所は限られていた。行商や市によらざるをえない商人が大多数を占める時代が、長く続いたのである。とくに行商人は商人のパイオニアといわれる存在であり、一説にはその語源はこれに由来するともいわれている。「商人」はいまは「しょうにん」というが、かつては「あきんど」といわれていた。「あきんど」は「あきうど」が訛(なま)ったものだという。すなわち、収穫を終えた秋、農村にさまざまな物を売りにくる人であるから「あきうど」とよばれるようになったというのである。
行商人にはさまざまなタイプがみられ、1人で売り歩く小規模なものから、シルク・ロードを往来した隊商のような大規模なものまであった。庶民の生活に密着していたのは、むしろ小規模なものである。その形態も、ほとんど毎日くるものから、決まった季節にのみくるものまで、多様であった。これらは販売法も違っている。たとえば新潟県の岩船地方では、毎日くるイサバとよばれる魚売りは一軒ごとに売り歩くが、盆暮れにくるタベトとよばれる呉服屋は村の決まった家に数日間滞在し、村人がそこまで買いに行った。行商人はいまは少なくなったが、京都の大原女(おはらめ)、富山の薬売りなど、なお行われているものもある。市に出る商人も、回り歩くことは行商人と同じであった。市は、ある地域内で村ごとに日を違えて開かれるのが通例で、商人たちはその開催日にあわせて移動したのである。なお、行商と市の中間形態とされるものに「立ち売り」とよばれるものがある。市に出る商人は、通常仮店舗を構えて終日そこで販売するが、立ち売りは市には出るものの、文字どおり立ったまま販売し、機をみて移動していった。
常設店舗をもてる商人が増加したのは江戸時代からで、これが多数派になったのはつい近年のことなのである。商人は回り歩くもの、という時代が長く続いたわけだが、この特徴を生かし、彼らは単に品物を販売するだけでなく、外界のようすを知る機会の少ない当時の人々に情報をもたらす役割をも担っていた。経済的側面とともに、さまざまな文化が商人によって各地に伝えられたことには、見逃せないものがある。
[胡桃沢勘司]
『『行商と農村』(『定本柳田国男集16』所収・1962・筑摩書房)』▽『豊田武・児玉幸多編『流通史Ⅰ』(『体系日本史叢書13』1969・山川出版社)』▽『大隅健一郎著『法律学全集27 商法総則』新版(1978・有斐閣)』▽『『中世の商人と交通』(『豊田武著作集 第3巻』1983・吉川弘文館)』▽『北見俊夫著『市と行商の民俗 交通・交易伝承の研究2』(1985・岩崎美術社)』▽『樺山紘一他編『岩波講座 世界歴史15 商人と市場』(1999・岩波書店)』▽『吉田伸之編『商いの場と社会』(2000・吉川弘文館)』▽『佐々木銀弥著『日本商人の源流』(教育社歴史新書)』
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…生産者の販売会社(自動車メーカーの販売子会社等)とか消費者の生活協同組合などは,それぞれから独立していないので,これに含まれない。広義には,たとえば商法の規定のように,〈自己の名をもって商行為をなすを業とする者(固有の商人)〉および〈擬制商人〉を商人とする定義がある。
【商法上の商人概念】
商法は営業の主体を商人とするが,具体的には次の二つの方法によって商人を定める。…
…
[日本における諸問題]
日本で国際商法の問題として扱われるのは,通常次のような事項に関する準拠法決定問題である。(1)総則的問題 (a)商人 ヨーロッパ大陸法系では商人という概念を認め,非商人と異なる特別の権利義務を定めていることが多い。しかし商人と非商人の区別の準拠法は一律に決定すべきでなく,商業登記,商業帳簿の作成義務などは営業所所在地法によるべきであるが,商事の法定利率によるか,民事の法定利率によるかに関しては,契約準拠法により決定されることとなる。…
…江戸時代の社会を構成した主要な身分である武士,百姓,職人,商人を指す言葉。四民ともいう。…
…したがって,商業を取引のために存在するところの企業と認識するこの説のほかに,交換説,再販売購入説,配給説などがある。交換説は,中世の都市経済における個別的な直接交換をとらえて商業とみる説であり,再販売購入説は,18世紀において商行為を専門の業務とする商人活動が盛んになるに至って,商人の再販売のための購入活動をもって商業とするものである。さらに,19世紀から20世紀にかけて,商人のみならず生産者,消費者,国もしくは地方公共団体によっても商行為が専門的に行われるに及んで,それらの組織体の商行為をも商業ととらえる配給説が唱えられた。…
…その決め方には二つの方法がある。第1は特定の行為を商行為として列挙する方法で,その商行為を行うものが商人とされる。商事法(商行為法)主義とよばれる方法である。…
…商法典は実質的意義における商法の発展の歴史の一つの発現形態である。
[商の発展]
消費者自身による天産物の採取や狩猟による自給自足の自然経済から,ときおり行われる余剰物の交換を経て,計画的な交換経済に入るや,生産者と消費者との間に立って財貨の流通を媒介する営利活動たる〈商〉が発達し,それを業とする〈商人〉が出現し,このような生活関係を規律する原始的な慣習的市場法である〈商法〉が生ずるに至った。10世紀に入りしだいに平和が回復するや食料等農村の生産物を都市に供給し,都市の完成品を近隣で売却するだけの商業から,より大きな利潤を求めて需要の大きな物資を生産地で安く仕入れそれを遠方の有利な消費地に運んで高く転売することを業とする商人が出現した。…
…日本近世における被支配諸身分の中で,百姓や諸職人とともに最も主要な身分の一つ。その基本的性格としては,(1)さまざまな商業を営む商人資本であること,(2)都市における家持(いえもち)の地縁的共同体である町(ちよう)の住民であり,正規の構成員であること,(3)国家や領主権力に対して,町人身分としての固有の役負担を負うこと,などがあげられる。以下(1)~(3)について説明する。…
…商家などで奉公人に別家を許すこと。17世紀以降,商人や職人の家屋の軒先に屋号,商品,商標などをデザイン化した暖簾を出すのが一般的になった。商人や職人が暖簾を重視するようになったのは,家業という特定の営業権や技術をもつ経営が成立していったことによる。…
…これは一職(いつしき)支配と呼ばれ,兵農分離の結果もたらされた近世的な社会体制を意味している。
[商人・職人の形成]
農業生産から遊離した名主百姓のなかには,武士化せずに商人・職人となる者もあった。彼らは町場に居住する場合には町人身分となり,おりから成立しつつあった新たな分業関係に基づいて遠隔地商業に従事し,軍需品や生活必需品の製作にあたった。…
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