デジタル大辞泉
「総裁」の意味・読み・例文・類語
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そう‐さい【総裁】
- 〘 名詞 〙
- ① ( ━する ) 全体を総括して裁決すること。〔新令字解(1868)〕
- [初出の実例]「専務理事として劇務を総裁し」(出典:東京大正博覧会出品之精華(1914)〈古林亀治郎〉六『地紙サ印』)
- [その他の文献]〔宋史‐呂蒙正〕
- ② 慶応三年(一八六七)一二月九日、王政復古大号令が発布されたとき置かれた最高官の一つ。皇族がこれに任ぜられ、すべての政治をつかさどり、いっさいの事務を裁決した職。議定、参与とともに三職といった。明治元年(一八六八)閏(うるう)四月に廃止された。
- [初出の実例]「三職人撰 総裁有栖川宮 議定仁和寺宮〈略〉参与大原宰相」(出典:議奏言渡‐慶応三年(1867)一二月一四日(古事類苑・官位八))
- ③ 公社・銀行・政党など、ある機関や団体の長。
- [初出の実例]「講武所総裁両人、蘭名スクーネル君沢形御船乗様し」(出典:日本財政経済史料‐一〇・拾遺・安政三年(1856)八月八日)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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普及版 字通
「総裁」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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総裁
そうさい
明治初年の中央政府の最高職。1867年(慶応3)12月、王政復古の政変によって新設された三職の一つ。三職のうち、議定(ぎじょう)、参与は幕末の上下議院論の着想に基づいている。総裁は天皇が弱年のために置かれたもので、その職掌は「幕機ヲ総裁シ一切ノ事務ヲ決ス」とあって、天皇の代理とみることができる。日本には、太政(だいじょう)大臣とか摂政(せっしょう)とか、天皇に近い権能をもつ臨時の官職を置くことがあったが、この慣行に基づいて設置されたのであろう。有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王がこの職にあった。1868年(慶応4)正月9日、副総裁職が置かれ、三条実美(さんじょうさねとみ)、岩倉具視(いわくらともみ)が任命された。いずれも同年閏(うるう)4月21日の太政官(だじょうかん)制の復活に伴って廃絶された。
[井上 勲]
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総裁
そうさい
一般には組織の長の名称の一つ。日本銀行,自由民主党の長などはこれを名のるが,歴史的には慶応3 (1867) 年 12月9日の王政復古の大号令とともに摂関,征夷大将軍制を廃して設けられた維新政府の最高職をいう。議定,参与を含む「三職」の一つ。総裁は有栖川宮熾仁親王。翌同4 (68) 年1月9日,副総裁の職が設けられ,三条実美,岩倉具視が議定のままこれを兼任した。次いで同2月3日,政府の職が「三職八局の制」に改革されたとき,総裁局がおかれ総裁はその長となった。総裁局はほか7局を指揮,統率した。さらに同閏4月 21日「七官両局の制」の採用により「三職」が廃され,総裁は輔相にその職務を譲った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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総裁
そうさい
明治政府設立期の最高位の官職である三職の一つ。1867年(慶応3)12月9日,王政復古の大号令により摂政・関白に代えて設置され,有栖川宮熾仁(たるひと)親王が就任,翌68年(明治元)1月9日には副総裁に三条実美(さねとみ)と岩倉具視(ともみ)が任命された。総裁は親王のなかから任じられ,庶政を統率してすべての事務を裁決するものとされ,2月3日の八局の制で総裁局がおかれると,その長官として副総裁・輔弼(ほひつ)などを率いた。68年閏4月21日の政体書公布により廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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総裁
そうさい
明治維新当初の最高官職名。三職の一つ
1867年12月,王政復古の大号令により設置。有栖川宮熾仁 (ありすがわのみやたるひと) 親王が任ぜられ,政務を総轄した。'68年閏4月の官制改革で廃止。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の総裁の言及
【三職】より
…明治初年,政府により制定され,太政官制の布告によって廃止されるまで,約6ヵ月間存続した官制。1867年(慶応3)12月,王政復古の大号令により,明治政府が成立するとともに,総裁,議定,参与の三職が設置された。総裁には有栖川宮熾仁(たるひと)親王が任ぜられて,国政を総理した。…
※「総裁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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