世界大百科事典(旧版)内のブラント,M.A.S.vonの言及
【ドイツ】より
…63年12月には西ベルリン市当局と東ドイツ政府が通行証協定を結び,西ベルリン市民はクリスマスから新年にかけて東ベルリンの親類を訪問できるようになった。 66年,西ドイツに大連立内閣が成立し,外相にウィリー・ブラント社民党党首が就任した。そして69年の連邦議会選挙の結果,2,3位の社民党,自由民主党が連立を組み,ブラントが首相就任演説で〈ドイツの中に,互いに外国ではない二つの国が存在する〉と述べて東方外交のスタートをきった(一民族二国家論)。…
※「ブラント,M.A.S.von」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」