ベローナ会議(読み)べろーなかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベローナ会議」の意味・わかりやすい解説

ベローナ会議
べろーなかいぎ

ウィーン体制を支える五国同盟参加国が1822年10~12月にベローナVeronaで開いた国際会議。主としてスペイン革命に対する対応が議題となり、イギリスの強い反対にもかかわらず、ロシアオーストリアプロイセン支持のもとにフランスが干渉軍を送ることを決め、スペイン王フェルナンド7世の王権を回復させた。ギリシア独立問題、中南米独立問題をめぐっては参加国の間に一致をみず、五国同盟による協調外交破綻(はたん)を生じるに至った。

百瀬 宏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のベローナ会議の言及

【ウィーン体制】より

…1814‐15年のウィーン会議で,イギリス,フランス,ロシア,プロイセン,オーストリアの五大国が中心となってヨーロッパの政治的再編がはかられたが,その後ヨーロッパ諸国の勢力均衡を利用しつつ,オーストリア宰相メッテルニヒが中心となって推し進めた,48年革命まで続く政治体制をいう(ドイツ史ではとくに,1848年の三月革命以前のこの時代を三月前期Vormärzとよぶ)。その政治的原理は復古的保守主義であった。…

【神聖同盟】より

…さらに20年11月のトロッパウTroppau(現,オパバ)会議,21年1月のライバハLaibach(現,リュブリャナ)会議では,イタリアのブルジョア的変革に対する軍事干渉,ギリシアの民族解放闘争を抑圧するオスマン・トルコに対する間接的支援が決議された。神聖同盟最後の会議である22年のベローナ会議では,スペインのブルジョア革命弾圧の任がフランスにゆだねられた。しかしベローナではイギリスが離反し,またフランスの七月革命の新しい波を受けて神聖同盟の影響力は失われ,そのワルシャワ蜂起(1830)後のポーランド分割問題にあたって同盟が立て直されたものの,ヨーロッパにおけるその歴史的役割は終わった。…

【ヨーロッパ協調】より

…他方,狭くとらえる場合は,列強の間の平和が崩れたクリミア戦争までの時期をいうこともある。その際,四国同盟にフランスの加入を認めた1818年のエクス・ラ・シャペル会議,シチリア王国の革命に干渉することを決めた1821年のライバハ会議,スペインの革命(リエゴ革命)への干渉を決めた1822年のベローナ会議などのいわゆる会議外交を指すことになるが,それとは逆に1848年の革命以降についていう外交史家もあり,さまざまである。 いずれにせよ重要なのは,列強が互いにこのシステムのメンバーとして認めあい,合議によって問題を処理しようとしたこと,そしてそれが可能であったことである。…

※「ベローナ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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