ホラント,W.von(読み)ほらんと

世界大百科事典(旧版)内のホラント,W.vonの言及

【神聖ローマ帝国】より

…そして,この名称は,皇帝の中世的超民族支配が国民国家の台頭の前に消滅したのちにもなお残存し,近世ドイツ帝国の呼称として1806年まで用いられた。 神聖ローマ帝国という名称が初めて現れるのは,皇帝フリードリヒ2世の対立王ウィルヘルム・フォン・ホラントWilhelm von Holland(在位1247‐56)の晩年の証書においてである。その後,この名称は国王リチャード・オブ・コーンウォルの公文書を経て,ハプスブルク家のルドルフ1世(在位1273‐91)の国王文書に継承され,爾来,ドイツ国王官房の公式用語として定着する。…

※「ホラント,W.von」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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