ボイネブルク,J.C.von(読み)ぼいねぶるく

世界大百科事典(旧版)内のボイネブルク,J.C.vonの言及

【ライプニッツ】より

…歴史学,法学,神学などについても重要な業績を残し,政治家,外交官など実務家としても活躍した。ライプチヒに生まれ,ライプチヒ大学で哲学を,イェーナ大学で数学を,アルトドルフ大学で法律を学んだ後,マインツ侯国の前宰相ボイネブルクJohann Christian von Boyneburg(1622‐72)と相識り,1670年侯国の法律顧問官となる。侯国の外交使節として72年以降パリに滞在したが,このパリ派遣は,彼自身の起草になる〈エジプト計画〉(フランスの対外拡張政策,特にオランダ侵攻を阻止し,エジプト征服を勧めることによって,ひいてはドイツの安全を図ろうとするもの)を,ルイ14世に奏上することが直接の目的であった。…

※「ボイネブルク,J.C.von」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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