改訂新版 世界大百科事典 「ムカンナーの乱」の意味・わかりやすい解説
ムカンナーの乱 (ムカンナーのらん)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…アッバース家運動中,そのダーイー(宣伝員)のヒダーシュKhidāsh(?‐736)が,ホラーサーンでマズダク教徒の勢力と結んだのがその始まりである。アブー・ムスリムの謀殺後,その血の復讐を求めたスンバーズの乱(755),隠れメシアとしてのアブー・ムスリムの再臨を説いたウスターズシースの乱(767),ムカンナーの乱(776)などが起こり,マズダク教と過激シーア派との結びつきはいっそう強まった。ホッラム教徒の最大の反乱は9世紀前半のバーバクの乱で,その平定後もホッラム教徒は残存し,12世紀の前半,ハマダーンの北西およびアゼルバイジャンに,ホッラム教徒が住んでいたと伝えられる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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