改訂新版 世界大百科事典 「ライシーアム」の意味・わかりやすい解説
ライシーアム
lyceum
19世紀前半のアメリカで始まった文化向上運動およびその推進機関。名称は,アリストテレスがアテナイ郊外に開いた学校リュケイオンLykeionに由来する。1826年,教育家ホールブルックJosiah Holbrook(1788-1854)が労働者と職人階級を主要対象に,科学と有用な一般知識の相互教育を目的にマサチューセッツ州ミルベリーで開始。運動は拡大し,31年には全国組織〈アメリカ・ライシーアム〉が発足,34年には全国に約3000を数えた。講演会,娯楽の指導,教師の質的向上の援助,図書館活動の活発化などの活動を行い,対象もしだいに知識人を中心とするようになった。R.W.エマソンをはじめH.D.ソロー,D.ウェブスター,H.W.ビーチャーらが講師を務め,相互教育の場としてよりも講演会としての性格を強める。南北戦争後には講演会の商業化・娯楽化が進み,大衆教育の役割はショトーカ運動に取って代わられた。
執筆者:山本 泰男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報