新撰 芸能人物事典 明治~平成 「リーガル天才」の解説
リーガル天才
リーガルテンサイ
- 職業
- 漫才師
- 肩書
- 漫才協団会長
- 本名
- 曽我 忠一
- 別名
- 筆名=宇佐 晴士
- グループ名
- コンビ名=リーガル天才・秀才(リーガルテンサイシュウサイ)
- 生年月日
- 大正13年 2月26日
- 出生地
- 神奈川県
- 学歴
- 工学院〔昭和15年〕卒
- 経歴
- 中学卒業後、家を出て、“笑いの王国”の横尾泥海男に弟子入り。昭和18年俳優として初舞台を踏む。満州慰問団に加わり渡満したがすぐ終戦、22年帰国。劇団山びこを結成したが解散、街頭宣伝の会社を始める。27年元座員のリーガル秀才とコンビを組んで漫才に転向、29年デビューし、NHK漫才コンクールで1位となる。リーガル千太・万吉傘下で、31年からリーガルを冠した。女性問題や政治風刺を得意とし、知的な正当派しゃべくり漫才で人気を集めた。45年テレビ・ラジオの芸人に対する扱いに我慢できず一切の出演を拒否する“不出演宣言”を行い話題となった。その後、ファンの要望があって数年後にNHKでテレビ復帰、以来NHKには出演。63年芸術祭賞、平成3年紫綬褒章を受章。5〜10年漫才協団会長。11年高座で倒れてからは闘病生活を続けた。弟子にケーシー高峰らがいる。
- 受賞
- 紫綬褒章〔平成3年〕 芸能功労者表彰(第7回)〔昭和56年〕,芸術祭賞〔昭和63年〕
- 没年月日
- 平成16年 12月22日 (2004年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報