出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
律令制下の最高の任官試験。「大事之要略」を問う方略策(ほうりゃくのさく)という論文を2題課し,その文章と内容によって上上・上中・上下・中上第(以上及第)・不第に評定した。上上・上中第合格者は正八位上・下に叙されて出仕を許され,上下・中上第合格者は式部留省(りゅうしょう)となり,考満叙位ののちに出仕が認められた。802年(延暦21)には上下・中上第はそれぞれ大初位上・下に叙されるように改められた。平安時代に入ると,文章得業生(もんじょうとくごうしょう)と秀才試の関係が密接になるとともに,文章得業生が秀才と別称されるようになり,試験の名称としては「方略(之)試」「方略之策」が用いられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…従来科挙は次代煬帝(ようだい)の大業年間(605‐618)に創始されたと考えられてきたが,これは誤りである。
[変遷]
唐は隋制を受け,科挙に秀才,進士,明経,明法その他の科目を設けた。秀才には政治上の意見などを問う策論を課するが,採点が厳しすぎて合格者がなくなり廃止された。…
…(3)生員。府学,州学,県学の学生で,俗に秀才という。生員にパスしたならば科挙の第一関門を通過したわけである。…
…すなわち,教科内容は三史(《史記》《漢書》《後漢書》)その他の中国の歴史書や,《文選(もんぜん)》以下の中国の詩文などであり,教官には文章博士2人があたった。文章生は20人で,これを進士と称したが,その中の優秀な者2人を文章得業生とし,これは秀才と称した。また文章生の希望者が多いので,文章生候補者として,擬文章生20人が置かれた。…
…そして典薬寮の医・針生は,医・針博士が1ヵ月に一度試験し,典薬頭・介が一季ごとに試験したが,さらに宮内卿・輔が年終試を行った。つぎに中国の科挙にならった式部省による官人採用試験は,(1)秀才は博学高才のものを採り,方略試2条を試験して,上上~中上第の四等が及第,上上第は正八位上,上中第は正八位下に叙した。(2)明経(みようぎよう)は二経以上に通じたものを採る。…
※「秀才」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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