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転向 てんこう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

転向
てんこう

個人における思想の転換を意味するが,一般には共産主義者共産主義思想を放棄することをさす場合が多い。日本において最も知られるケースは,1933年日本共産党の最高指導者であった佐野学,鍋山貞親が『共同被告同志に告ぐる書』を公表して政治思想上の転換を声明したことで,その後1ヵ月以内に既決囚党員の 35.8%,未決拘留中の 30%が転向を表明した。

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デジタル大辞泉の解説

てん‐こう〔‐カウ〕【転向】

[名](スル)
それまでの、方向・方針・職業・好みなどを変えること。「サラリーマンから小説家に転向する」
政治的、思想的立場を変えること。特に、共産主義者社会主義者が、弾圧によってその思想を放棄すること。「転向文学

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百科事典マイペディアの解説

転向【てんこう】

一般に〈権力の強制によって起こる思想の変化〉(思想の科学研究会《転向》)。狭義かつ典型的には1930年代以降の日本のマルクス主義者による共産主義思想の放棄をいう。
→関連項目市川正一窪川鶴次郎佐野学政治と文学論争中野重治鍋山貞親日本共産党平野謙村山知義四・一六事件

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世界大百科事典 第2版の解説

てんこう【転向】

広くは,ある個人の信念・行動が圧迫強制によって方向転換することを指すが,一般には,共産主義思想を放棄すること。その個別的事例はしばしばみられるところであるが,歴史的事件としての転向は,1933年6月,当局に拘束されていた日本共産党幹部佐野学と鍋山貞親が,コミンテルンの方針を拒否し,民族主義と天皇制に立脚する〈一国社会主義〉の建設を説く〈獄中からの転向声明〉を発するに及んで,多くの共産党員が引き続き集団的に転向した事例を指す。

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大辞林 第三版の解説

てんこう【転向】

( 名 ) スル
方向・方針を変えること。向きを変えること。 「文科から理科に志望を-する」
思想的政治的立場を変えること。特に、社会主義者・共産主義者が弾圧によってその立場を放棄し、他の立場に転換すること。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

転向
てんこう

(1)広義には、ある思想・信条から他の思想・信条へと変化すること。(2)狭義には、自由主義的・民主主義的立場をとる個人あるいは集団が、反体制的立場を抑圧する立場とか、国家主義的・軍国主義的反動体制を支持する立場へと態度を変更すること。(3)最狭義には、昭和10年前後の戦前日本において、共産主義者たちが、権力側から加えられた強制・暴力によってその思想・信条を放棄した行為をさす。
 (1)の広義の意味においては、その事例は歴史上枚挙にいとまがないほど日常的にみられる。この場合には、転向行為自体は、思想・信条の自由の観点からいって、別によいとか悪いとかいった価値評価はそこでは問題とされないのが普通である。したがって、転向が人間の「生き方」の問題あるいは倫理的価値評価を伴う思想史上の研究対象となるのは、(2)または(3)の場合であろう。
 (2)の転向の代表的な事例としては、イギリスのE・バーク、日本の加藤弘之(ひろゆき)の場合が有名である。バークは、アメリカの独立問題に関しては、T・ペインと同じく、イギリス政府や議会の植民地抑圧政策に反対し、植民地議会を支持した。しかし、次のフランス革命に対しては、彼は『フランス革命に関する考察』(1790)を書いて、フランス革命とその精神原理となったルソーの社会契約説を徹底的に批判した。加藤弘之は、明治維新直後には『真政大意』(1870)を書いて、社会契約説(天賦人権論)をかざして福沢諭吉(ゆきち)らとともに徳川封建制を批判し、日本の近代化に大きな役割を果たした。しかし、明治10年代に入ってからは、『人権新説』(1882)を書いて、自由民権運動を批判している。この両者に共通していることは、いずれも、近代市民革命あるいは近代民主主義の思想原理ともいうべき社会契約理論を否定している点である。18世紀中葉期、イギリスにおいては産業革命の時代が到来し、中小生産者層や労働者階級の数が増大した。彼らは、選挙権の拡大を求め、人間は生まれながらにして自由で平等の権利をもつという自然権思想を掲げて闘った。こうした政治運動は、ルソーの自然権思想や社会契約説を基礎にしたフランス革命の勃発(ぼっぱつ)によってますます高揚する傾向にあった。上層市民層のイデオローグであったバークは、こうした傾向を恐れ、フランス革命の思想原理を批判することによって、イギリスにおける選挙権拡大闘争を抑制する側に回ったものと思われる。加藤の場合は、最初、西欧の社会契約論によって、徳川幕藩体制のイデオロギーであった儒教道徳を批判し、一躍、明治啓蒙(けいもう)期における進歩的知識人の地位を獲得した。しかし、彼自身、のちに明治政府の高級官吏の地位につくと、薩長(さっちょう)を中心とする藩閥政治打破を唱える自由民権運動のなかで、民権論者たちが天賦人権論を唱えて政治的権利を要求するや、「適者生存」「自然淘汰(とうた)」という社会進化論を援用して天賦人権論を批判する立場をとるようになった。このようにみるとき、バークや加藤の転向は、彼ら自身の政治的立場の変化によって、その思想内容を保守的・反動的な方向に変更していった典型的事例であるということができよう。
 次に、(3)の強制・暴力による転向の場合であるが、これについても、歴史上、ヨーロッパにおけるキリスト教徒とくに非国教徒の転向(回心)や、日本のキリシタンの転向の事例などがみられる。しかし、日本において、転向ということばが特別な政治的意味や倫理的意味を帯びて人々の間で強く意識されるようになったのは、1933年(昭和8)6月9日に当時獄中にあった日本共産党(非合法)の指導者佐野学(まなぶ)、鍋山貞親(なべやまさだちか)(1901―79)が転向声明(天皇制と民族主義にたつ一国社会主義の建設を説きコミンテルンの方針を拒否)を出し、それに続いて500人以上に上る大量の集団転向が行われて以後のことである。それ以前にも、赤松克麿(かつまろ)が共産党解党論を唱えて脱党したり、山川均(ひとし)らが「無産階級運動の方向転換」を唱えて天皇制とまっこうから対決する闘争を回避した事例があり、こうした方向転換が転向とよばれてきたが、佐野・鍋山の転向声明によって、転向という語は、前衛政党たる共産党やプロレタリアートに対する階級的裏切り行為と明確に結び付けてとらえられるようになった。この場合は、権力の暴力に屈して転向したという経緯もあって、転向者の多くは、それ以後、深い挫折(ざせつ)感にとらわれ、政治運動の第一線から退いていったが、なかには政府や軍部に協力する者もいた。
 第二次世界大戦後、日本民主化の運動が高揚し、社会党や共産党が合法化されると、社会主義運動のリーダーたちの資格をめぐって、非転向者対転向者というシェーマによってその優劣が問われるような事態がみられた。また思想的理由やその他の理由によって共産党を離れた者に対しても転向者というレッテルが貼(は)られた時期もあった。こうしたことは、戦前の厳しい「冬の時代」における日本型転向の特殊事情と深い関係があることはいうまでもない。
 しかし、戦後、民主主義や市民的自由の思想が発展していくなかで、転向を人格的・倫理的次元において断罪するような転向観はしだいにその影を潜めつつある。[田中 浩]
『思想の科学研究会編『共同研究 転向』全3巻(1959~62・平凡社) ▽しまねきよし著『転向――明治維新と幕臣』(1969・三一書房)』

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