サウード家(その他表記)Āl Su‘ūd

山川 世界史小辞典 改訂新版 「サウード家」の解説

サウード家(サウードけ)
Āl Su‘ūd

サウジアラビア王族。アナザ族に属し,18世紀中頃のムハンマド・ブン・サウードのときに,ムハンマド・ブン・アブドゥルワッハーブの宗教純化運動(ワッハーブ運動)と結びつき,ワッハーブ王国が樹立される。その後,第2次ワッハーブ王国をへて,1902年アブドゥルアジーズラシード家からリヤド奪還,32年サウジアラビア王国が成立する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のサウード家の言及

【サウジアラビア】より

…正式名称=サウジアラビア王国al-Mamlaka al-‘Arabīya al-Sa‘ūdīya∥Kingdom of Saudi Arabia面積=224万km2人口(1996)=1842万人首都=リヤードRiyād(日本との時差=-6時間)主要言語=アラビア語通貨=サウジ・リヤルSaudi Riyālアラビア半島の約80%を占める王国。ナジュド出身のサウード家のアブド・アルアジーズ・ブン・サウードが建国した。彼は1902年にリヤードを手中にして以後アラビア半島にワッハーブ派のサウード家の王国を再興し,24年にはイギリスの援助をうけていたヒジャーズのフサインを破り,〈ヒジャーズの王,ナジュドおよびその属領のスルタン〉を称し,27年イギリスとジェッダ条約を結び,国際的承認をえた。…

【ナジュド】より

…ダワシール・ワーディーはルブー・アルハーリー砂漠に達して消える。ナジュドは,サウジアラビアの建国者サウード家の出身地であり,首都リヤード北西のダルイーヤal‐Dar‘īya(ディルイーヤal‐Dir‘īya)は15世紀にサウード家の祖先が定住した旧都である。またハニーファ・ワーディー上流のウヤイナal‐‘Uyaynaで生まれたムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブは,ワッハーブ派を発展させて建国の精神的主柱となった。…

【ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブ】より

…その思想はイブン・ハンバルの学説の流れを引き,イブン・タイミーヤの学説に大きく影響されているといわれる。1744年あるいはその数年後,故郷を追われたが,ナジュドのダルイーヤに拠点を置くサウード家の保護を得,以後,サウード家の勢力拡張に伴って,彼の思想はアラビア半島に広まっていった。しばしば局外者が彼の名を冠してワッハーブ派と呼ぶこの運動は,近代におけるイスラム革新運動の先駆として,その後のイスラム世界に大きな影響を及ぼした。…

【メッカ】より

…第1次世界大戦中,シャリーフのフサインがオスマン帝国に対するアラブの反乱を指導し,戦後メッカでアラブの王と称した。1924年,彼はアブド・アルアジーズ・ブン・サウードに敗れてメッカを追われ,以後メッカはサウード家の王国の一部となり,今日ではサウジアラビア王国のメッカ州の州都となっている。【後藤 晃】
[イスラム教徒にとってメッカのもつ意味]
 プトレマイオスの時代にマコラバという名で呼ばれていたこの町は,それより遥か以前から存在していたもようである。…

※「サウード家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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