山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説
ムハンマド・ブン・サウード
Muḥammad b. Su‘ūd
?~1765
サウジアラビアの王族サウード家の始祖。ナジュドの豪族で,ムハンマド・ブン・アブドゥルワッハーブの宗教運動と連携,ディルイーヤからアラビア半島制圧に乗り出し,18世紀中期にいわゆるワッハーブ王国を建国。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
?~1765
サウジアラビアの王族サウード家の始祖。ナジュドの豪族で,ムハンマド・ブン・アブドゥルワッハーブの宗教運動と連携,ディルイーヤからアラビア半島制圧に乗り出し,18世紀中期にいわゆるワッハーブ王国を建国。
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…ヒジャーズはハサン家の支配のもとで事実上独立し,オマーンではイバード派のヤールブ朝(1624‐1741)が興ってポルトガル人を追放した。
[近代]
ナジュド地方東部のダルイーヤの族長ムハンマド・ブン・サウードが,ワッハーブ派の創始者ムハンマド・ブン・アブド・アルワッハーブと手を携えて新しい国づくりを始めたのは,18世紀半ばのことであった。ワッハーブの教えはベドウィン戦士の士気を奮い立たせ,昔ながらのベドウィン同士の戦いはジハードとして意義づけられた。…
…タウヒード(神の唯一性)とカダル(神の予定)とを強調し,シルク(多神教)につながる可能性ありと認めるいっさいのものを否定しようとした。故郷で迫害された彼は,ナジュドのダルイーヤに拠るムハンマド・ブン・サウードMuḥammad b.Sa‘ūd(?‐1765)の勢力拡大運動と結ぶこととなり,その結果,この運動はサウード家の政治的消長と軌を一にしつつ,アラビア半島に展開した。サウード家の支配はワッハーブ王国と呼ばれることもある。…
※「ムハンマド・ブン・サウード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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