ロシア連邦西部、ボルゴグラード州の州都ボルゴグラードの旧称。1925年から1961年まで用いられた。
[編集部]
旧名ツァリーツィン(1925年まで)。ロシア南部ヴォルガ川下流の大工業都市。第二次世界大戦で独ソ戦の勝敗を決定した激戦地。スターリン批判を機にヴォルゴグラードと改名された。
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…〈ボルガ川の都市〉の意で,1925年までツァリーツィンTsaritsyn(〈皇后の都市〉の意。ただし,サルイ・スー(黄色い水)というタタール地名をロシア式に解釈した名称),61年まではスターリングラードStalingradとよばれていた。水陸交通の要衝,工業の一大中心地で,機械製造,建設資材,食品,木材加工,冶金,石油精製,非鉄金属など各種工業が盛んである。…
… ソビエトでは,プドフキン,アレクサンドル・ドブジェンコ(1894‐1956)をはじめ一流監督が戦時ドキュメンタリー製作のために動員され,ナチの侵入後まもなく多くのエピソードからなる《戦闘映画選集》が始まり,セルゲイ・ゲラーシモフ(1906‐72),グリゴリー・コージンツェフ(1905‐73),セルゲイ・ユトケビチ(1904‐85)などの〈戦線映画特集〉が41年11月から42年の終わりまで公開された。また,ロマン・カルメーンの《戦うレニングラード》(1942),レオニード・ワルラーモフの《スターリングラード》(1943)というニュース映画を編集したもの2本と,ドブジェンコの《ウクライナの勝利》(1943‐45)のような長編ドキュメンタリーもつくられた。 日本では,日中戦争が泥沼化した1938年に,前線部隊と行動をともにしながら撮影取材を行った亀井文夫の《戦ふ兵隊》が,陸軍省情報部の後援で製作されたにもかかわらず,その〈生命の詩をうたう〉反戦的要素が濃厚すぎて軍当局から公開禁止にされ,以後,40年代に入ると,侵略戦争の激化とともに,〈国民総力戦への戦意昂揚,一億玉砕へと民衆を追い込む宣伝扇動の手段として記録映画は利用された。…
※「スターリングラード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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