日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルゴグラード」の意味・わかりやすい解説
ボルゴグラード
ぼるごぐらーど
Волгоград/Volgograd
ロシア連邦南西部、ボルゴグラード州の州都。ボルガ川沿岸の経済、交通、行政の大中心都市。人口100万(1999)。1925年までツァリーツィンЦарицын/Tsaritsïn、61年までスターリングラードСталинград/Stalingradと称した。ロシア革命(1917)前より各種工業が発展していたが、革命後、ソ連の工業化のための拠点の一つとなり、大トラクター工場が建設され、この工場の生産高は、第二次世界大戦までソ連のトラクター生産の3分の1を占めるといわれた。現在、機械(造船、トラクター、モーター、石油工業用設備、医療機器)、鉄鋼、アルミニウム、石油精製、木材加工、食品、セメントなどの各種工業が発展している。鉄道、道路の分岐点で、ボルガ川に大河港を有し、空港もある。また、ボルゴグラード州の州都として行政機能をもつほか、教育・文化機能も発達し、教育、都市経済、機械、医科の各大学、防衛博物館、郷土博物館などの施設がある。市域はボルガ川右岸に沿って細長く70キロメートルにわたって延びている。乾燥地域にあるため、市内の緑化に力が入れられている。市内には1963~67年に建設された記念建築物のある「ママエフの丘」をはじめとして、第二次世界大戦の記念碑が多数あり、外国人観光客も訪れるようになった。
[中村泰三]
歴史
1589年、ボルガ、ドン両川の接近する交通の要所(ボルガ川にツァリツァ川が注ぎ込む地点)に要塞(ようさい)が建築されたのが起源である。17~18世紀、農民蜂起(ほうき)や諸民族の反乱の舞台となり、1670年にはステンカ・ラージン、1774年にはプガチョフ軍によって一時占領された。1782年以来サラトフ県内の郡庁所在地となる。19世紀には木材加工業、石油、冶金(やきん)工業などが発展し、商・工業、交通の一大中心地となる。人口も19世紀末には5万5000になった。革命後の国内戦期には、革命軍と反革命軍の間の最初の本格的な決戦が行われ(1918年の「ツァリーツィンの防衛」)、赤軍はスターリンらの活躍でこの重要拠点の防衛に成功した。また大祖国戦争(第二次世界大戦)期にはここを舞台に7か月にわたる「スターリングラードの戦い」が行われ(1942~43)、町は完全に破壊されたが、ソ連軍はナチス・ドイツ軍の野望をくじいた。戦後急速に復興し、1961年にはスターリングラードから現名称に改称され、1965年レーニン勲章を授与された。ソ連「英雄都市」の一つであった。1991年12月のソ連崩壊に伴いロシア連邦の一都市となる。
[栗生沢猛夫]