スターリン批判(読み)すたーりんひはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スターリン批判」の意味・わかりやすい解説

スターリン批判
すたーりんひはん

ソ連の政治家スターリンに対する批判。1953年3月のスターリンの死後、ソ連で彼に対する批判が始まった。1956年2月のソ連共産党第20回大会で、フルシチョフ第一書記は秘密会議における特別報告(2月25日)のなかで、1930年代の大粛清によって多くの無実の人々が犠牲となったこと、自己に対する個人崇拝を助長したこと、対ドイツ戦への備えが十分でなく緒戦においてソ連に大損害をもたらしたことなどで、スターリンを激しく非難した。この秘密報告は数か月後アメリカ国務省によって公表され、大きな波紋をよんだ。ポーランドハンガリーなどの東欧諸国では反ソ暴動のきっかけとなり、中国ではスターリン擁護の声があがり、中ソ大論争へと発展した。ソ連でもモロトフマレンコフなどが1957年6月にスターリン批判を推進するフルシチョフを追放しようとして失敗、逆に反党グループとして追放された。1961年10月の第22回党大会ではスターリンの遺体レーニン廟(びょう)から除く決定が採択された。ところが、1964年10月のフルシチョフ失脚後、スターリン批判の動きは弱まり、86年2~3月の第27回党大会でも個人崇拝の弊害と党・国家指導のレーニン的規準からの逸脱についてのスターリンへの批判は、主観主義的・主意的誤りについてのフルシチョフへの批判と並んで、しかも両者とも名前をあげずに批判する程度にとどまった。スターリンへの批判は、共産主義の問題点について考える機会を与え、国際共産主義運動多様化をもたらし、各国共産主義者の自主的な思考行動を促進した。

中西 治]

『菊池昌典著『増補 歴史としてのスターリン時代』(1973・筑摩書房)』『フルシチョフ著、志水速雄訳『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」全訳解説』(講談社学術文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スターリン批判」の意味・わかりやすい解説

スターリン批判
スターリンひはん
Criticism on Stalin

1956年2月のソ連共産党第 20回大会で行われた前指導者 I.V.スターリンに対する批判。中央委員会報告において N.フルシチョフ第一書記が,「個人崇拝」のため市民の権利が侵された点を指摘,A.ミコヤンも 20年間集団指導がなかった点を批判した。最終日にフルシチョフは秘密報告を行い,スターリンの病的猜疑心のため残忍な大量弾圧とテロが横行し,きわめて多数の無実の者が処刑されたこと,41年の独ソ戦においても警告無視,作戦指導上の誤りなどのため重大な損害を受けたことなどを暴露した。この報告は公表されなかったが,主要共産党指導部に送られたものがアメリカ国務省により発表され,世界に衝撃を与えた。イタリア,ポーランドなどの党指導部は,「個人崇拝」という形での問題のとらえ方は不十分であるとの態度をとった。中国はスターリン批判のやり方を非難し,中ソ論争 (→中ソ対立 ) へと進み,東欧諸国でもポズナン暴動ハンガリー動乱などが発生し,西側の共産党内部にも分裂が拡大した。 61年 10月のソ連の第 22回党大会では第2次スターリン批判が行われ,スターリンの遺棺がレーニン廟から撤去され,東欧諸国でも,工場や街の名称変更,スターリン像の撤去などが進んだ。

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