ベイルート史(読み)ベイルートし(英語表記)History of Beirut

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベイルート史」の意味・わかりやすい解説

ベイルート史
ベイルートし
History of Beirut

レバノン共和国の首都ベイルートの歴史は古く,前 14世紀のアマルナ文書に初めて現れている。フェニキア人の都市として繁栄。のちにセレウコス朝,ローマ帝国,ビザンチン帝国の支配下でも繁栄を続けていたが,551年に大地震で破壊された。 635年からアラブ人の勢力下に入れられ,1110年にはボードーワン1世の率いる十字軍が町を占領し,51年エジプト船団の略奪を受けたのをはじめ,87年サラディンに占拠されるまで絶え間なく戦乱が続いた。 13~16世紀にはマムルーク朝の支配下で衰退したが,オスマン帝国の宗主権下で回復した。 18世紀後半ロシアの攻撃を受けて再び衰退し,19世紀初めエジプトの太守ムハンマド・アリーに占領され,1841年のイギリス,トルコオーストリアの攻撃でこの占領は終結したが,町は廃虚と化した。 1912年トルコと開戦したイタリアは海上から町を襲撃。 18年には連合軍が入城した。第2次世界大戦初期からイギリス,フランスの支配下におかれたが,41年レバノン共和国の独立に伴い首都となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android