日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムハンマド・アブドゥー」の意味・わかりやすい解説
ムハンマド・アブドゥー
むはんまどあぶどぅー
Muammad ‘Abduh
(1849―1905)
エジプトのイスラム改革者。下エジプトの農村に生まれ、アズハル大学で学んだ。1871年、アフガーニーに会って強い影響を受け、民族主義運動(アラービー運動)に参加した。1882年、アラービーの反乱に敗北して国外追放され、亡命先のパリで、アフガーニーとともに雑誌『固き絆(きずな)』を発行した。1888年、許されて帰国して以降は、エジプトの最高ムフティー(イスラム法学の権威者)として、公共善(マスラハ)を重視した、イスラム法の改革を進める一方、アズハル大学の教育改革に専念した。彼は、本来のイスラムの理念は西洋的な合理主義と矛盾していないと考え、従来の法学派の伝統主義を批判し、本来のイスラムに戻ることを主張し、イスラム世界の復興を図った。彼の近代的イスラム解釈は、ラシード・リダーRashīd Riā(1865―1935)、カーシム・アミーンQāsim Amīn(1865―1908)、アブド・アルラージィクMustafa‘Abd al-Raziq(1885―1947)などに強い影響を与えた。主著に『神的一性論』(リサーラ・アルタウヒード)がある。
[竹下政孝 2018年4月18日]