ラオス愛国戦線(読み)ラオスあいこくせんせん(その他表記)Neo Lao Hak Sat

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラオス愛国戦線」の意味・わかりやすい解説

ラオス愛国戦線
ラオスあいこくせんせん
Neo Lao Hak Sat

パテト・ラオともいう。インドシナ共産党ラオス委員会 (現在のラオス人民革命党 ) が対仏徹底抗戦を主張する王族スファヌボン殿下とともに 1950年8月に結成した民族統一戦線組織。当初はラオス自由戦線と呼ばれたが,56年1月の全国大会でラオス愛国戦線と改称した。スファヌボン議長を最高指導者としてラオス解放を目指して武装闘争を続け,その間 54年ジュネーブ協定に基づく 57年の連合政府,62年ジュネーブ協定に基づく3派連合政府に加わったが,いずれも右派決裂。 75年のラオス革命の急進展に伴い,中核的存在のラオス人民革命党が前面に登場し,その指導的役割をほぼ終え,79年2月にはラオス国家建設戦線に引継がれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ラオス愛国戦線」の解説

ラオス愛国戦線
ラオスあいこくせんせん

パテト−ラオ

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世界大百科事典(旧版)内のラオス愛国戦線の言及

【ラオス】より

…タイにあったラオ・イッサラ亡命政府はこの独立によって解散を発表したが,王国政府の懐柔に妥協しなかった左派はスパヌウォンを中心に50年8月,ネオ・ラオ・イッサラ(自由ラオス戦線。1956年にはラオス愛国戦線と改称。この戦闘部隊をパテト・ラオと呼ぶ)を結成し,臨時抗戦政府をサムヌア省に樹立した。…

※「ラオス愛国戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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