三緒(読み)みお

日本歴史地名大系 「三緒」の解説

三緒
みお

遠賀おんが川中流域、現上三緒・下三緒一帯に相当する。古代嘉麻かま郡三緒郷(和名抄)の郷名を継承。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「三緒次郎丸名」がみえる。嘉吉四年(一四四四)に「嘉麻郡三緒半分四十町」が「宗あハはう」に宛行われ(同年三月四日「宗盛国書下」仁位郷御判物写/長崎県史 史料編一)、文明元年(一四六九)には宗肥前守が同所を安堵されている(同年九月七日「宗貞国安堵状」同上)。文明期と推定される一〇月一〇日付宗肥前守宛宗国茂書状(同上)に「如仰三緒田数ニついて、委細申候処ニ、八十丁在所ニ候を、とうふんニ四十丁分ニて進之候へと申付候」とあり、室町―戦国期には三緒の総田数八〇町が「上三緒」「下三緒」に等分されていた可能性が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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