上呰部村(読み)かみあざいむら

日本歴史地名大系 「上呰部村」の解説

上呰部村
かみあざいむら

[現在地名]北房町上呰部かみあざえ

下呰部村の北、備中川が呰部盆地に入る谷口部に広がる村。寛永備中国絵図・正保郷帳にみえる呰部村に含まれたとみられる。元禄八年(一六九五)の旧松山領新高帳(羽場文書)に上呰部村とみえ、古高五五九石余・新高七四四石余。安政二年(一八五五)の宗門改人数寄目録(林文書)によれば、家数七一・人数三三六。松山藩領・幕府領を経て、元禄一〇年新見藩領となって幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む