上条中割村(読み)かみじようなかのわりむら

日本歴史地名大系 「上条中割村」の解説

上条中割村
かみじようなかのわりむら

[現在地名]韮崎市旭町上条中割あさひまちかみじようなかわり

上条北割村の南、釜無川の右岸段丘上に位置する。南は大門だいもん沢を挟んで上条南割村。集落は中世には甘利氏の武具製作者が集住していたと伝えられる鍛冶屋かじや、および田島たじま小曾根こそねの三つからなる。中世は甘利あまり庄のうち。天正一七年(一五八九)二月一一日の伊奈忠次知行書立写(記録御用所本古文書)に甘利を冠して「上条中割」とみえ、当地の二八俵一斗六升一合一勺五才などが武川衆に宛行われている。同一八年二月二四日には武川衆の折井市左衛門尉・米蔵主計に対して当地で一千三六〇俵一升一合一勺二才などが宛行われている(「徳川家奉行連署知行書立写」御庫本古文書纂)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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