( 1 )北伝(大乗)仏教では法身(真理)が仏菩薩その他の形で現われるとも、応身の働きであるともする。権現は、この応身に相当し、衆生の救済に応じて現われる仏身で、観音菩薩の三十三身はその例。
( 2 )日本では仏教信仰の輸入から、土着の神信仰を基底に神仏同体をはかりながらも結局は②のような仏菩薩が優位となる神仏習合、本地垂迹となってゆく。
( 3 )「承平七年(九三七)十月四日筥崎八幡宮宛太宰府牒」に、筥崎八幡は宇佐八幡と「権現菩薩垂迹猶同」とあり、八幡神を「権現菩薩」と固有名詞で呼ぶ古い例で、権現は以後一般化する。そこから近世に入って③のように神格化した人の神号としての用例が生じる。
仏菩薩が権(かり)に神祇となって現れること。本来は永遠にして理想的な仏陀がかりに歴史的現実的釈迦に化身して現れたと説く仏教用語に発し,これを仏尊と神祇の関係に転用し,日本の本地垂迹(ほんじすいじやく)説を成立せしめる根本理念となった。937年(承平7)九州の筥崎八幡宮に法華経安置の多宝塔を建てる際に大宰府から出された文書中,八幡神を権現と称する文句があり,ついで1004年(寛弘1)大江匡衡が尾張の熱田神宮に捧げた願文に熱田権現の垂迹という言葉を用い,そのころ藤原道長も吉野の金峰山(きんぷせん)に奉納した経筒に蔵王(ざおう)権現の銘をつけた。蔵王は密教の仏尊だが当時すでに日本の山岳信仰と習合し神祇化されていたのである。院政期,上皇はじめ公家貴族の参詣で脚光をあびた熊野は早玉宮・結宮を合して両所権現,家津御子を入れて熊野三所権現と称し,眷属神である五所王子・四所宮を合して十二所権現とも呼んだ。加賀白山では奈良朝初め泰澄により霊場が開かれ,その主神を白山妙理権現と称し,伊豆箱根では同じころ僧満願が僧形・俗形・女形の神体を感得して三所権現と称し社にまつり走湯権現ともいわれ,日光山では勝道が平安朝に滝尾権現を感得し,日吉山王でも大宮・二宮・八王子・客人・十禅師・三宮・大行事等多数の祭神に一々権現号を付し,醍醐寺の鎮守清滝明神は密教の善女竜王にほかならないが,権現の名称で親しまれていた。
以上に見るように,総体に修験者が信仰する山岳中心の霊場には権現号が多く,そこにはひときわ祭神の強力な霊験機能を誇示しようとする意識が働き,律令制の下で《延喜式》に規定された名神から来たと思われる明神の号への対抗が考えられるが,いずれの号をも称する祭神は多かった。室町期に興った吉田神道は神本仏迹説をとき,神道を仏教よりすぐれたものとしたたてまえ上,権現より明神号を尊び,地方の神社に対し大明神授与を行い,豊臣秀吉が死後まつられるにあたっては吉田神道に従って豊国大明神の号が贈られた。しかるに徳川家康の場合,明神号をもって吉田の唯一宗源神道による祭祀を主張した崇伝に対し,江戸上野の寛永寺天海は家康が生存中天台の山王一実神道を授けられ死後この神道の流儀でまつられるよう遺言したと称し,また明神号は豊国社没落の不吉の例ありとして権現号をもって山王一実神道の祭りを強引に推進し,ついに1617年(元和3)家康は東照大権現の神号に決定された。1868年(明治1)神仏分離が政府から通達されて全国各地の社の権現号は廃止された。日光山・久能山・江戸上野等につくられた東照宮の神殿はいずれも拝殿と本殿を石間(いしのま)または相間(あいのま)で連ねた形式をとり,これを権現造と称するが,実はすでに豊国神社にもみられ北野神社も1607年(慶長12)同様式で建てられた。今日民俗芸能としてしられる東北地方の山伏神楽や番楽では獅子頭を権現様と呼び神とあがめ,年末年始にこれを奉じて家々を訪ね,悪魔払い,火伏祈禱を行う風習がある。
執筆者:村山 修一
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仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)を救うために仮(かり)(権)の姿をとって現れること。また、その現れた姿をいう。権化(ごんげ)、応現(おうげん)、示現(じげん)、化現(けげん)などともいう。本来、仏教で用いられたことばであるが、平安時代になると、権現は、わが国の諸神と結び付き、日本の神々を仏・菩薩が衆生を済度(さいど)するために仮に現れた姿であると考えるようになり、諸神を権現号でよぶようになった。春日(かすが)権現、山王(さんのう)権現、三島(みしま)権現、熊野(くまの)権現などの類であるが、このような権現号も1868年(慶応4)3月の神仏分離によって廃止された。
[三橋 健]
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神の尊号で,仏菩薩(ぶつぼさつ)が衆生(しゅじょう)を救うために人や神の姿に変えて世に現れることを意味し,応現(おうげん)・示現(じげん)・化現(けげん)・権化(ごんげ)ともいう。仏教伝来以降,仏菩薩がかりに日本の神になって現れるとする本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が広まり,多くの神々にこの尊号が与えられた。熊野権現・白山権現・蔵王権現など修験者によって開かれた山に祭られる神々には,この尊号がつけられた。人につけられた例として徳川家康の東照大権現がある。
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…またチベットのラマ教では,ダライ・ラマは観音の,パンチェン・ラマは阿弥陀仏の転身とされる。日本では権化,権現,権者(ごんざ),応現,化現,示現はほぼ同じ意味で用いられる。民族信仰の諸神格と仏教の信仰対象とを結びつけ調和させようとする本地垂迹(ほんじすいじやく)説でしばしば用いられ,たとえば天照大神はその本地とされる大日如来の垂迹した権化とされているのである。…
…近世以後では,地方の町村や社寺に伝わる各種の獅子舞に用いられる獅子頭がたくさん見られ,それらは多様に変化していることが知られる。東北地方に伝わるいわゆる〈権現さま〉もその一つで,岩手県黒森神社には鎌倉から明治時代にいたる十数頭の遺品が一括してのこっており,その間の変貌を知ることができる。【田辺 三郎助】。…
…また数人から十数人という大獅子もある(静岡県掛川市)。東北の早池峰(はやちね)神楽などの山伏系神楽では独特の形の獅子頭を権現と崇(あが)め,祈年(としごい)や火伏せの祈禱として舞わせる。しかし尻尾役は胴幌の外に出て幌の端を持つにすぎず,時に太神楽の獅子舞に見られるような動物擬態的演技はない。…
…神または仏が現れること,また神仏が一時応現すること。この場合,神仏が仮の姿となって,この世に現れることを権現という。また姿を見せずに現れることもいう。…
※「権現」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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