日本歴史地名大系 「上稲沢村」の解説 上稲沢村かみいなざわむら 埼玉県:児玉郡児玉町上稲沢村[現在地名]児玉町稲沢身馴(みなれ)川支流の稲沢川の水源地域に位置し、北は飯倉(いいぐら)村・宮内(みやうち)村、北東は中稲沢村、東は元田(げんだ)村、南は河内(こうち)村、西は渡瀬(わたらせ)村(現神川町)・下阿久原(しもあぐはら)村(現神泉村)。下稲沢村から稲沢川沿いを遡上した道は、当村西端の櫓(やぐら)峠(矢倉峠)を越えて下阿久原村秩父瀬(ちちぶせ)に至る。江戸期の郷帳類は上伊奈沢村と記す。田園簿によると高三〇石余で、永六貫一八九文、幕府領。寛文一一年(一六七一)奏者番兼寺社奉行戸田忠昌領となる。延宝四年(一六七六)再び幕府領を経て、元禄一〇年(一六九七)の地方直しにより旗本大久保領となり幕末に至る(以上「寛政重修諸家譜」・改革組合取調書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by