下稲沢村(読み)しもいなざわむら

日本歴史地名大系 「下稲沢村」の解説

下稲沢村
しもいなざわむら

[現在地名]児玉町稲沢

身馴みなれ川の支流稲沢川の流域に位置し、東は元田げんだ村、西は中稲沢村、北は飯倉いいぐら村・宮内みやうち村。江戸期の郷帳類は下伊奈沢村と記す。田園簿によると高五〇石はすべて畑で、幕府領。国立史料館本元禄郷帳、幕末の改革組合取調書では旗本大久保領。天明元年(一七八一)の年貢割付状(根岸家文書)によると畑地面積は一〇町九反余で、このうち約六〇パーセントが下畑・下々畑である。天保三年(一八三二)の改指上帳(同文書)では込高一〇石余があり、反別も一一町四反余となっている。「風土記稿」によると家数二八。文政改革の掟書に対する文政一一年(一八二八)の請書(根岸家文書)に連署した者二九人、天保三年の小前持高物成小訳帳(同文書)記載の百姓のうち、出作者等を除いた年貢負担者も二九戸である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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