日本歴史地名大系 「上鳧郷・下鳧郷」の解説
上鳧郷・下鳧郷
かみつかもごう・しもつかもごう
「和名抄」高山寺本・刊本ともに「上鳥」「下鳥」とあって訓を欠くが、鳥は鳧の誤りと考えられる。鳧は字形類似によって鳥・島・邊に読まれる可能性があり、承和一三年(八四六)の賀茂成継墾田売券(東南院文書)で「下邊郷」または「下島郷」、同一四年の山城国宇治郡司解(同文書)で「大和国葛上郡下邊郷」または「大和国葛上郡下島郷」とされている郷名はいずれも下鳧郷のことかとと思われる。
応永二五年(一四一八)の吐田庄注進文(春日神社文書)に「葛上郡三十三条五里 西ムロ下津賀茂ノ社北浦坪三十三坪 二反 下津賀茂神主 同条六里 下津賀茂ヒツジサル六坪一反 三室殿」「三十三条八里 上津賀茂ノ東ハシ三十坪七反之内 二反」とあり、葛城山から流出する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報