下島郷(読み)しもじまごう

日本歴史地名大系 「下島郷」の解説

下島郷
しもじまごう

現下島一帯に比定される中世の郷名。建武政権期は富士浅間社(富士山本宮浅間大社)領で、元弘三年(一三三三)九月三日の後醍醐天皇綸旨(大宮司富士家文書)によって同社に寄進され、建武四年(一三三七)一〇月二日に打渡しがなされた(「明仙・最隆連署打渡状」同文書)。貞和四年(一三四八)一二月一〇日の足利直義御教書写(今川家古文章写)では、駿河守護今川範国に駿河国衙領の一部が預け置かれ、正税を免許しているが、当郷もそのなかに含まれている。以後、今川氏とのかかわりが深く、諸職は今川氏から鎌倉円覚寺に寄進された。郷内の大屋勘解由左衛門尉跡は、貞治元年(一三六二)一二月七日の駿河守護今川範氏寄進状(写、古文書雑集)で範氏亡母の菩提を弔うため寄進され、この跡地は応安三年(一三七〇)二月二七日の円覚寺文書目録(円覚寺文書)から地頭職のうちとわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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