下大内目村(読み)しもおおうちのめむら

日本歴史地名大系 「下大内目村」の解説

下大内目村
しもおおうちのめむら

[現在地名]遊佐町豊岡とよおか

上大内目村の南西にあり、北西水上みずかみ村。村前むらまえに奈良時代から室町時代の集落跡がある。明暦二年(一六五六)の検毛帳(飽海郡誌)では高四〇二石余。庄内要覧によれば免五ツ五分、家数二五。明治九年(一八七六)石辻いしず村など四ヵ村と合併し豊岡村となる。江戸中期まで龍頭りゆうとう寺末寺の真言宗円福えんぷく寺があり、境内は龍頭寺分で地代を支払っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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