日本歴史地名大系 「下富萢村」の解説
下富萢村
しもとみやちむら
西に
享保一一年(一七二六)一一月に「外ニ新開之場所見立、段々開き申候処、百姓共多く集り、村名奉伺候処、「下富萢村」と仕候様ニ被仰付候」とある(津軽歴代記類)。宝暦四年(一七五四)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて一七町二七歩、村高は六五・七三七石であった。うち田方は一一町五反九畝一六歩で五八・八一石、下田と下々田のみで、下々田が一一町一反七畝二四歩、五五・八八九石とあり、畑方は下々畑だけで、屋敷地を含めて五町四反一畝一一歩、六・九二七石である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報