稲垣村(読み)いなかけむら

日本歴史地名大系 「稲垣村」の解説

稲垣村
いなかけむら

[現在地名]白山町稲垣

垣内かいと川に沿う段丘上の村、八対野はつたいの村の東。東は丘陵南出みなみで村に境する。南は垣内川を隔てて山田野やまだの村。中世小倭おやまと郷に属する。明応三年(一四九四)の小倭百姓衆起請文(成願寺文書)には、稲垣百姓衆二五名と稲垣衆三〇名が分けて記される。伊勢国司諸侍役附(神宮文庫蔵)には稲垣に北畠氏家臣として稲垣安芸守らの名がみえる。「勢州軍記」などの軍記物には稲垣氏の名もみえるが、事跡は知られない。


稲垣村
いながきむら

面積:三二・七二平方キロ

津軽平野の北部に位置し、東は岩木川を隔てて五所川原市と北津軽郡金木かなぎ町・中里なかさと町、南と西は木造きづくり町、北は車力しやりき村に接する。

岩木川の下流にあり、標高の低い湿地帯で、総面積の約七三パーセントが水田で、県下第一の米所といわれる。

明治二二年(一八八九)繁田しげた下繁田しもしげた千年ちとせ豊川とよかわ沼館ぬまたて沼崎ぬまさき福富ふくとみ穂積ほづみ吉出よしいでの九ヵ村が合併して稲垣村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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